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大河と霧と英雄の船

第一章 研修船アルゴ号

3. 闇と楽園

「さあ、もうすぐエデンベースだよ。タイガくん、気をひきしめて」
 フューシップの前方を映すスクリーンに〈エデン〉の光が小さくまたたきはじめたころ、アルフレッド船長が穏やかな声でタイガをうながした。
「はい!」
 スイッチを切り替え、アルゴ号のコントロールを機械から自分の手中に取り戻して、タイガは背筋を伸ばした。
 ミストはあれから顔を出すことはなかったが、操縦室はミストの話題で持ちきりだった。
 アルフレッド船長が、いかにミストが傍若無人かというエピソードを持ち出して、
「まったく、老師は偉大ですよ、あのミストくんの手綱をとっているんだから」
 と水を向ければ、
「ほっほ、それは誤解じゃ。子供のころから、わしの言うことなんぞちーっとも聞かんぞ」
 ジェイソン教官が楽しげに体を揺する。
「こうやって噂すると本人が来ちゃうのがいつものパターンだけど、今日はあれきり来ないわね。タイガくんに遠慮してくれてるなら助かるけど」
 カリーナが首をかしげれば、
「きっと適当なところで寝てるんだよ。目の下にちょっと隈があったからね」
 アルフレッドが笑い、
「ライターは寝不足が仕事だ、なんていつも言ってましたからね」
 機内点検から戻ってきたばかりのロンが相槌を打つ。
「ライター業、野垂れ死にもせずによく続いてるわよね。意外だわ」
「ミストくんはよけいなことにも目端が利くからねぇ。なかなかぴったりだと思うよ」
「神出鬼没ですしね」
「神出鬼没といえば、アルゴ号の怪談というのも、あながちアリかもしれないねぇ。ロンくんは点検時になにかおかしなところは見つけなかったのかい?」
 船長が安全監査士に興味津々の顔で尋ねる。
「今のところはなにも……」ロンは真面目な顔で首を振る。「ただ、アルゴ号は現役のフューシップの中では飛び抜けて古い型ですからね。旧式の反重力システムのせいで、なにかが起こっているという可能性はあります」
「なるほど、反重力が原因になりうるんだね」
「はい。空間をゆがめますから、ふとした拍子にワームホールが開く可能性がないとは言い切れません。しかし、過去にそういった報告はありませんし、つながっているとしてもいったいどこにつながっているのか、見当もつきませんね」
「それって、ちょっと夢のある話じゃない?」カリーナが瞳を輝かせた。「識別チップを持たない人たちの楽園がどこかにあるかもしれないってことでしょ?」
「楽園かどうかはわからないけどねぇ」
「ミストくんやあの子猫の状態を見れば、ひどいところではなさそうですね」
 タイガは会話に加わりたい気持ちをぐっとこらえて、スクリーンに映る〈エデン〉の光を強く見つめた。
 ドームの入り口を示す橙色の光はしだいに大きくなり、まるい口腔を示してアルゴ号をベースの中へと誘っている。球体のどてっ腹に穴を穿ったようなこのゲートが、ドーム唯一の出入り口だ。ドームを出るすべての船は、ここから旅立ち、またいつかここに帰ってくるし、帰ってこないこともある。
(明後日には、キャプテン・ヘンリーのアークシップもここから飛び立つんだ……)
 世界にたった一機だけの探査船アークシップは、ここ〈エデン〉の基地ベースに置かれ、旅立ちの時をいまかいまかと待っている。
 〈エデン〉は三つのドームの中でもっとも大きく、世界の中心的な存在だ。三つのドームにはそれぞれ“統治局”という名の政府組織があるが、それらをさらに統括する〈世界連合統治局統合本部〉という大仰な名前の統治機構が〈エデン〉にある。ただ、これだと名称が長すぎるので、略してHUGOGCフゴークと呼ばれている。あるいは単純に“本部”と呼ぶ者も多い。
 〈エデン〉というのは旧時代の神話に出てくる楽園の名だという。ほかのふたつのドーム〈アルカディア〉と〈ポンライ〉も、やはり旧時代の神話に登場する楽園からとられたものだと教わった。〈アルカディア〉には広大な食糧生産プラントがあり、ほかのドームの台所を支えている。〈ポンライ〉には機械工場とにぎやかな商業施設が所狭しと混在していて、熱気と活気にあふれた迷路となって、ある種の異様な空間を造っている。〈エデン〉は大きさこそ最大ではあるが人口は少なく、その半分が本部士官か本部直属の研究施設で働く人、あるいは学院や養成所の生徒だ。
 それぞれ特色はあれど、どのドームも人類にわずか残された安寧の地であることに変わりはない。「かつて天から追われた人類が、こんどは地からも追われ、しかたがないから持てる技術のかぎりを尽くして自分たちで必死に築き上げた、悲しい人造の楽園さ」――― 父はそう語っていた。
 なにが悲しいのか当時はピンとこなかったが、ドームの外の闇を知ったいまのタイガにはわかる気がする。
 〈終末の口付けキス・オブ・ウィークエンド〉、あるいは〈世界の終焉ラグナロク〉という名で歴史に語り継がれている大惨事は、“太陽”というなによりも大切な光の球を地球から奪ってしまった。そこで人々は、ドームという城塞を築き上げ、気温も湿度も完璧にコントロールされた安全な空間に住まうようになった。
 かつての文明の遺跡を足元に敷いて中空に建てられた巨大な球型の建造物――― それが〈ドーム〉だ。「まるで地球につなぎとめられた小さな惑星のようだね」という言葉で、父はドームを表現した。人々はその惑星の表面ではなく内側に、階層を作って住んでいる。ドームでは毎朝人工太陽が打ち上げられ、夜になれば回収される。擬似的な昼夜の営みを繰り返しながら、人類は過去の地球を懐かしみ、未来の希望にすがって現在を生き続けている――― と、これも父の言だ。
 父によれば、かつて天空に輝いていた“太陽”というとても明るい光の球は、人類に欠かせぬものだったらしい。人類どころか、生命そのものに必要不可欠な存在だったらしい。昔は熱も光も人間の手で作り出す必要はなく、常時、太陽から供給されていたのだという。天空は太陽がもたらす光で青く輝き、ときとして桃色や茜色に染まったという。さらに真っ白な水分の固まりが自動的に浮かび上がって漂い、刻一刻と気まぐれで繊細な絵画を描いていたという。いまのドームにも人工の青空は広がっているが、“朝焼け”や“夕焼け”や“雲”はない。すべてはほんものの太陽を失ったせいだ。
 もっとも、太陽そのものが消えてしまったわけではない。太陽はいまも太陽系の中心で輝き続け、宇宙のさまざまな脅威から地球を守ってくれているという。だが、この場所からその姿を仰ぐことはもはや叶わぬ願いだ。地球を覆うどす黒い塵は分厚くて、光の一筋も通さない。
「タイガはまだほんとうの暗闇を知らないだろうね」
 古ぼけた天球儀を回しながら、父がぽつりと漏らしたことがある。
「しってるもん。ほら」
 幼いタイガは目をぎゅっとつぶってみせた。父は笑って、タイガの髪をくしゃくしゃとかき回した。
「それはほんとうの闇ではないよ。瞼から光がさしこむから。ほんとうの闇は、光がまったくないんだ。闇だけ。目を開けても、見えるものはなにもないんだ」
「なんにも? なんにもみえないの?」
「そう、なにも見えない。だからなにもない」
 父が言うほんとうの闇を想像しようとして、幼いタイガは身震いした。
「うーん。ぼく、よくわかんない」
「そうか。それもまた、ひとつの闇かな……」
 あのとき父はなにを思っていたんだろう。
 少年期に出身地の〈ポンライ〉から〈エデン〉へ移住してきた父は、フューシップに乗ったことがある。つまり、ドームの外に広がる闇の世界を知っている。でも、船のヘッドライトに照らし出された闇は、ほんとうの闇ではないのだろう。では、父はなにを知っているんだろう。どこでほんとうの闇を見たんだろう……。
 前方のスクリーンを見据えながら、いまあらためて真の闇を想像したタイガは、ふたたび身震いした。
「タイガくん、着陸は繊細な操縦を要求する、上の空ではいかんぞ」
「は、はい」
 師の注意に首をすくめ、タイガは父の言葉と闇を振り払った。スクリーンにはもう光の輪が迫っている。
 カリーナがエデンベースのランディングオペレーターと通信をはじめている。
 そのやりとりを耳に入れながら、タイガはレバーの操作に集中した。こうなったらもう、あのミストにだってタイガを振り向かせることはできないだろう。タイガの集中力と制御力は、養成所の同級生の中では一番だと評価されている。
 コックピットでもっとも若い操縦士に委ねられたフューシップは、慎重な飛行を続けながらまばゆい楽園に近づいていった。楽園の巨大な口腔は輝きをうねらせながら紡錘型の船体を呑みこみ、やがて闇の中に沈黙した。

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