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大河と霧と英雄の船

第二章 幻影銀河とアルゴ号

2. キャプテン・ヘンリー

 ヘンリー・マクレガー。その名を知らない人などいるだろうか。
 二十年にただひとり選ばれる、パイロット中のパイロット〈アークキャプテン〉、それがヘンリー・マクレガーだ。すべてのトリトランサー志願者たちの憧れの的と言っても過言ではない。
 彼は八機あるフューシップのひとつ、スレイプニル号の名船長だった。たしかな操縦の腕前とだれからも慕われる高い指揮力を買われ、〈アーククルー〉としての訓練を受けるようになり、二年前、ついにHUGOGCフゴークからアークキャプテンに任命された。
 アーククルーは宇宙で生活するための特別な訓練を受けた人たちのことで、アークキャプテンとは彼らを束ねる船長のことだ。彼らはアークシップと呼ばれる巨大な宇宙探査船に乗って、人類が住めそうな惑星を探すために未知の世界へと旅立つ。ドームを飛び出すどころか、地球の闇さえも突き抜けることができるのだ。宇宙空間を縦横無尽に駆けめぐり、さまざまな危険を乗り越え、いずれは帰還して人類に朗報をもたらしてくれる選ばれし五十人の英雄たち、それがアーククルーたちなのだ。
 つまり、アークキャプテンとして選ばれたヘンリー・マクレガーは、英雄たちの頂点とも言うべき存在なのだ。
 そのヘンリー・マクレガーにつながる少女が、目の前にいる。
 パシーの告白にタイガが喜ぶべきか畏れるべきか混乱し、頭を真っ白にしていると、
「あー、その親父さんがおまえを捜してるんだった。拗ねてないで戻ってやれよ、パシー」
 しゃがみこみ、パシーの足元にいる子猫をちょいちょいと指で招きながら、ミストが言った。
「お断りだわ」
 パシーと子猫がそろってつんとそっぽを向く。
「ミストさんこそ、パパのところに行かなくていいの? もう会見がはじまる時間でしょ」
 庇うように子猫をふたたび抱え上げながら、パシーはミストにしっしと手を振った。ミストはへらっと笑って自分の頭をかき回す。
「あー、いいんだよ。同業者がわんさかあふれかえってるような場所は苦手でさ。もっとナマであたりたいから、取材すんなら一対一と決めてんだ。それに、アポならもうとってあるしな。今夜、ちょいと酒でもやっつけながら話聞かせてもらう予定だぜ」
「いつの間に……」
 パシーが怒りを落っことしたような呆れ顔になる。タイガは今日はもう驚いてばかりだ。このミストが、歴史的大人物とも言えるキャプテン・ヘンリーとお酒を飲みに行くような間柄だったなんて!
 出生が謎に包まれていることもあいまって、目の前の男がほんとうに得体の知れないもの――― それこそ、ゴーストに思えてきた。
「ああ、チビタイガー、どうせならおまえもヘンリーさんに会ってみっか? 憧れてんだろ?」
 ミストはこんどはタイガの頭をわしゃわしゃとかき回した。
「えっ? いいの?」
 うっとうしい手を払いのけることも相手の得体が知れないことも忘れ、タイガは思わず身を乗り出した。
「いーのいーの。ヘンリーさんは気さくな人だからな、握手ぐらいはしてくれると思うぜ」
「ほんと!? やったあ! 僕ミストさんに会えてよかった!」
「ちょっと、人のパパのことでかってに話進めないでよ!」
 急にパシーが怒りだした。はじめからずっと怒っているような少女だったが、それまでの上段から斜にかまえたような余裕をかなぐり捨て、ほんとうに怒っている。
「いいじゃねぇか、ヘンリーさんが減るわけじゃなし。心配ならおまえも来ればいいさ。あ、もちろんおまえら子供は酒ナシだからな。遅くならねぇうちにさっさと帰れよ?」
「行くわけないでしょ!」
 顔を真っ赤にして憤るパシーを意地悪くにやにやと眺めながら、ミストがぽんぽんとタイガの肩を叩く。
「じゃ、チビタイガー、今夜二十時にベースの九番出口で待ち合わせな。ヘンリーさんともそこで待ち合わせてんだ。せっかくだからサインもらえるように話しといてやるぜ」
 かっ! という鋭い音が廊下に反響した。パシーのブーツが床を叩いたのだ。
「あなたたちってほんと無神経ね! もう、かってにすればいいわ!」
 靴音を高く響かせ、パシーは走り去っていった。ミストがやって来た方角へ。
「けっきょくヘンリーさんのとこに帰ってくんじゃねぇか」
 パシーを挑発した本人は悪びれもせずにへらへらと笑い、
「ミストさんといっしょに無神経ってことにされた……」
 タイガはひそかにショックを受けた。
「あの子、なんであんなに怒ってたの?」
「大好きなパパを俺たちにとられるのがイヤなんだとよ。まったく、あいかわらずきっついねぇパシー嬢は。タイガーのほうがまだかわいげがあるぜ」
「いいの? そのタイガー、どさくさにまぎれて連れてかれちゃったよ?」
「ま、しかたねぇよ、タイガーがパシーに懐いてるみてぇだからな。あいつんち犬飼ってるし、ペットの一匹や二匹問題ねぇだろ」
「でも、秘密がばれたら……」
「大丈夫だって。赤い首輪見たろ? あれに即席の偽チップ埋めこんであっからさ」
「犯罪だよ、それ……」
 そもそもそんなアブナイもの、この短時間でどうやって手に入れたんだろう。
 この男、やっぱり得体が知れない。
「それに、もしヘンリーさんにばれたって問題ないさ。あの人は俺の秘密も知ってっからな」
「そんなに仲がいいの!?」
 もしや自分以外の全人類がミストの秘密を知っていたんじゃないか、そんな錯覚をしそうになる。
「六年ぐらい前だっけなー。俺がアルゴ号で研修受けたときの付き添い船長さんがヘンリーさんだったのさ。そんときからの仲だぜ」
 つまり、タイガにとってのアルフレッド船長のような存在だったというわけだ。
 タイガは唇を噛んだ。名教師のジェイソン教官に拾われたうえ、未来のアークキャプテンに研修で付き添ってもらえるなんて、ミストはなんと恵まれているんだろう! つくづく、トリトランサーを選ばなかった彼が恨めしい。
 タイガにじっとりとにらまれていることに気づいているのかいないのか、
「ところでおまえ、これから予定ある?」
 手首の通信機を操作しながら、ミストが唐突にそんなことを聞いてくる。
「え? 今日の授業ならもう終わりだけど……」
「よし、暇ってことだな」
 ミストがかってに決めつけたとき、ひゅっと音をたててふたりの横にホバーバイクが止まった。ベース内移動用の、小型の立ち乗りホバーバイクだ。公共用のものをミストが通信機で呼び寄せたらしい。
「行くぜ、チビタイガー」
 いきなりぐいと腕を引かれ、たたらを踏んだタイガはホバーバイクの上に乗ってしまった。
「行くって……どこに」
「まだひっみつー。黙ってお兄さんに付いてきなさい。よっしゃ、ゴー!」
「誘拐だよ、これ……っ! 犯罪者ーっ!」
 タイガの叫びは急発進したホバーバイクに引きずられ、あっけなくベースの出口へと吸いこまれていった。

ここまでお読みくださりありがとうございました。試し読みは以上となります。

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