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大河と霧と英雄の船

第二章 幻影銀河とアルゴ号

1. パシーとの出会い

 着陸を無事に果たし、フューシップドッグにアルゴ号を格納し、機内点検への立ち会いもすませ、ジェイソン教官から悪いところをこってりと絞られつつ操縦の内容を復習し、ようやくこの日の研修メニューを終えてやれやれと肩を回しながらトリトランサーの控え室から廊下に出たタイガは、目をみはった。
 真っ白な廊下の隅から愛らしくこちらを見上げてくるのは、見覚えのある黒い瞳。そしてその毛並みは、やはり見覚えのあるしましまの虎柄。
 アルゴ号の迷子の子猫だ。
 いつの間にアルゴ号から出てきたんだろう、そもそもこの猫はミストが預かったんじゃないのか、じゃあこの赤い首輪はミストがつけたんだろうか、そういえばミストがアルゴ号から出てきた気配はなかったけれどどこに行ったのか、などなどたくさんの疑問がいっぺんにタイガの胸に湧いてきたが、いまはそれどころじゃない。このエリアはまだ人が少ないほうだが、基地の中央に出れば、整備士をはじめほかの船のパイロットなどさまざまな大人たちが行き交っている。そんなところを素性不明の子猫がふらふら歩いていたら、すぐにだれかに見つかってしまう。
 タイガは急いで子猫を拾い上げ、どこかに隠そうとした。しかし、子猫はそんなタイガの思惑など知ったこっちゃないと言わんばかりに手の下をさっとくぐり抜け、とことこと廊下を歩きだしてしまった。
 タイガが慌ててあとを追うと、子猫はさらに足を速めた。まるで追いかけっこを楽しんでるかのようだ。
「待ってよ、そんなことしてる場合じゃないんだってば!」
 タイガはだんだんむきになって子猫を捕まえようとした。しかし、すばしっこい子猫はタイガの手をするりするりと避けてしまう。からかうように尾を振りながら、長い廊下の角を曲がる。
「あっ!」
 だれかにぶつかりそうになって、タイガは急停止した。
「えっ? 猫?」
 相手はタイガよりも猫の存在に驚いたらしい。子猫はその足元に飛びつき、甘えるように身をすり寄せる。
 そのかわいらしいしぐさを見た彼女の口元に、小さな笑みが浮かんだ。
 真っ白な廊下にぽつりと落とされた、赤い花のような少女だった。
 もっとも、タイガはほんものの赤い花を目にしたことはない。過去のありとあらゆる記録を保存している巨大データベースシステム〈アーカイブ〉で映像を見たことがあるだけだ。なのに、とっさにそんな印象を抱いたのは、あざやかに光をはじく赤茶色の髪のせいだろうか。きりりと吊り上がった気の強そうな目と眉のせいだろうか。
 年はタイガと同じぐらいに見えた。
「あなたの猫なの?」
 子猫を抱き上げた少女がようやくタイガに視線を向ける。彼女が笑っていたのはほんの一瞬で、いまは黒い瞳できつくタイガをにらみつけている。声もなんだかとげとげしい。
 子猫の秘密がばれてしまったのか……タイガは肝を冷やした。
 しかも背後から、かつ、かつ、と廊下を歩いてくるブーツの音までする。
 大人の足音だ。
 もうだめだ、とタイガはぎゅっと目をつぶりたくなった。存在してはならない子猫は、確実に見つかってしまう。自分が飼っていることにしてごまかしたいが、まず説得力がないだろう。生きている愛玩動物には人間並みの課税があるし、ほかにも厳しい審査がたくさんある。ペットを飼う理由、飼育に関しての知識、飼育に信用がおけるか、などなど。愛玩動物は人間と同じようにすべての個体が統治局によって管理され、貸し出しというかたちで家庭に委ねられるのだ。最終的に許可が下りるのは経済的に豊かな家だけで、一般の家庭にはゴムのぬいぐるみか電子ペットがせいぜいだ。
「よう、パシー。こんなとこまで来てたのか。親父さんが捜してたぜ」
 足音が廊下を曲がって停止すると同時に、ひょうひょうとした声が降ってきた。タイガには聞き覚えがあった。この声に、こんなにほっとすることがあろうとは! いくらかの驚きとともにぱっと振り向くと、そこにいたのは果たしてあの男、傍若無人で神出鬼没なミストだった。
「やーっと見つけたぜ、タイガー。なにちゃっかり女の子と仲良くなってんだよ。パシー、その猫はちょっくらわけあって俺が預かってんだ。返してくれねぇか」
「ミストさんが?」
 パシーと呼ばれた少女は不審そうにミストを見上げた。それでもミストが手をひらひらと動かしてうながすと、しぶしぶといったようにその手に子猫を渡した。
 ふたりが知り合いだと知って、タイガはほっとした。子猫のことはミストがなんとか言いくるめてくれるに違いない。
「おい待てタイガー、また逃げる気か。おめぇ、俺が助けてやったってのになんで俺の言うこと聞かねぇんだよ」
 子猫はミストの手からするりと逃げて、またパシーの足元に戻ってしまった。よほどパシーのことが気に入ったのか、ミストをからかっているだけなのか。
「ミストさんもジェイソン先生の言うことぜんぜん聞いてないみたいだし、そんなもんじゃないの?」
「おっ、ちょっとのあいだにずいぶん生意気言うようになったじゃねぇか、チビタイガー」
「なに、ミストさん。こんなやつと知り合いなの?」
 初対面の少女にいきなりこんなやつ呼ばわりされて、タイガは面食らった。
「おまえらこそ知り合いだったとはな。ひょっとしてボーイフレンドか?」
 ミストの言葉に、パシーが眦を吊り上げる。
「ボーイフレンド? 冗談じゃないわよ、たいして実力もないくせにプロフェッサー・ヤギリの子供だからって大人たちからえこひいきされてる子なんて!」
「…………」
「この猫もてっきりあなたのパパのコネで飼ってるのかと思ったわ」
 いつもだれかが陰でこそこそ父のことを言っているのは知っていた。だが、こんなふうに面と向かって言われたのは初めてだ。あまりの言葉の重みに、タイガはよろめきそうになった。
 その肩に、さりげなくミストの手が置かれる。
「そう言ってやるなよ、パシー。こいつのアルゴ号に乗ったけどさ、俺より操縦うまいぜ」
「フューシップの操縦桿なんか握ったことのないミストさんよりうまいのは、あたりまえでしょ。養成所をばかにしてるの?」
 パシーはだれに対してもあたりがきついみたいだ。こんどはミストに喧嘩を売っている。ところがミストは怒りもせずに、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「あれ? 知らなかった? 俺、トリトランサーの免許持ってたんだぜ?」
「えっ!?」
 タイガとパシーは同時に驚いた。
「ほら、俺を拾ったのが老師ラオシーだからさ、俺もとうぜんのごとく養成所に通ってたわけよ。で、ほかにすることもなくてヒマだったから、とんとん拍子で受かったわけ。でも、本部の正士官になるとイロイロめんどくさそーだなーってことで、就職しなかったわけ」
「そんな……トリトランサーにならなかったなんて……」
 トリトランサーに憧れるタイガにとっては衝撃の事実だ。トリトランサーの免許を得るには血のにじむような努力が必要なのに、それをあっさり手に入れて、しかもトリトランサーの道を選ばない人がいるなんて。
 ショックのあまりくらくらする頭をおさえたタイガに、ミストはにやりと笑いを向ける。
「ロンは養成所の同期で幼なじみだから俺に甘いわけよ。見知らぬ他人だったら、マジで容赦なく奈落に叩きこんでるぜ、あいつ」
「僕、ロンさんに同情します……」
 そんなに昔からミストといっしょだったなんて、さぞやさんざん振り回されてきたことだろう。しかも、ミストはそれを自覚しているのだ。なのにひねくれもせず真面目にミストの相手をしているロンに、タイガは心の底から尊敬と同情の念を覚えた。
「……信じられないわ」
 パシーは目を大きく見開いてミストを見ている。その黒い瞳には、驚きや不信よりも困惑が浮かんでいた。
「それがほんとなら、ミストさん、なんでもできすぎるじゃない……」
「おう、俺は天才だからな!」
 ミストは照れもせずにカラカラと笑った。
「未就航のまま三年過ぎた時点で、免許は剥奪されたけどなー」
 免許などまったく惜しがっていない、そんな口調だった。
「ばかじゃないの、信じられないわ!」
 とたんにパシーが激昂した。
「トリトランサーの免許にどれほど価値があるかわかってるの!? アークキャプテンになるのだって、トリトランサーの免許と経験が大前提なのに! それをあっさりなくしたなんて、よく私たちの前で言えるわね!」
 タイガの心情そのままだった。ちょっと怒りすぎだが。
 たしかにミストは無神経だ。トリトランサーを目指す子供たちにとってそれがかけがえのない宝物だということを、理解していない。それに引き替え、このパシーという少女はよくわかっている。
 待てよ、……私たち、、、
「そういえば、君はだれなの? 僕のことを知ってるみたいだけど、パイロット養成所の人?」
 タイガは同級生たちのことを順番に思い浮かべてみたが、彼女ほど印象に残る少女は心あたりがなかった。外見もそうだけど、こんなにたて続けに無遠慮な口を利く人のことなら、必ず覚えているはずだ。
「あんたなんかに教えたくないわよ」
 つん、とそっぽを向かれてしまった。なぜここまで嫌われているのか……タイガは怒りを覚えるよりも先に悲しくなってきた。
 やっぱり、父が有名人なせいだろうか。
「おっと、そいつはちょっとかわいくないぜ、パシーちゃん」
 チッチ、と人さし指を振ってミストが口を挟む。
「親父さんが見たらなんて思うかな? いつも言われてんだろ、一流のパイロットは人とのつながりを大切にするもんだって。それでこそ、仲間たちを気遣えるいい船長になれる、ってさ。しかもこいつ、おまえの先輩にあたるんだろ? こいつに操縦教わることもあるかもしれねぇんだし、仲良くしといたほうがいいぜ」
「うるさいわね。ミストさんに言われなくたってわかってるわよ」
 きっ、、とミストをにらみつけ、パシーはものすごくいやそうに自己紹介をした。
「パトリシア・マクレガーよ。あんたと学年は違うけど、パイロット養成所の生徒よ」
「マクレガーって、もしかして」
 思わず漏れたタイガのつぶやきに、パシーのまなざしがますますきつくなる。
「そうよ」
 喧嘩を売る口調でパシーは言い放った。
「あんたも知ってるでしょ、ヘンリー・マクレガー。こんどのアークキャプテンは、私の父よ」

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