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大河と霧と英雄の船

第一章 研修船アルゴ号

2. 霧に包まれた男

「でもよく考えたらさ、ペットの飼育許可もらえそうなのってこのメンツじゃ老師ラオシーぐらいだよな。じゃあ、こいつどこから来たんだ? ロン、分析任せた。あ、カリーナさんは今日もあいかわらずお美しいっすね。アルフさんの影の薄さもお変わりなくてけっこう」
「ミストくんもあいかわらず軽薄でけっこうなことね」
 ぺらぺらと矢継ぎ早に喋る侵入者へ、カリーナがうっとうしそうに応じる。
 カリーナたちの知り合いということは、この不審者は見かけによらず安全な不審者なのだろうか。タイガは銃に触れていた手をとりあえずひっこめた。
 子猫を押しつけられたロンは腰のポーチから携帯用のスキャナーを取り出し、もう一度深いため息をついた。
「搭乗時に悪寒がしたので、ミストくんがまたかってに乗りこんでいる気はしましたが……今日はただの点検飛行じゃなくてタイガくんの研修飛行なんです。じゃましないでくださいね」
 スキャナーで子猫の体を調べつつ、三度めのため息。子猫はおとなしく、ロンにあちこちいじられるがままになっている。
「タイガー? へぇ、このちっこいやつの名前? 強そうじゃん」
 ひょいひょいと長い足を伸ばして、男は操縦席の横に回りこんできた。そして、タイガの顔をのぞきこんだとたん、腹を抱えて笑いだした。
「タイガーってツラじゃねぇな!」
「タ・イ・ガ! タイガーじゃないよ、ヤン語でリバーっていう意味だよ!」
 タイガは憤然と抗議した。
「リバーだぁ? ああ、おまえヤン族か。へぇ、めずらしいな。ハーフか?」
「おや、ミストくんが知らないとは意外だね。彼はタイガ・ヤギリくん。プロフェッサー・ヤギリの一人息子だよ」
 アルフレッド船長が横から解説したとたん、
「プロフェッサー・ヤギリの!?」
 ミストと呼ばれた男は目をむいた。
「それって、あの“リザレクター”のことだろ? 万能細胞の創造やら成長操作やら脳波での遠隔操作やらのロストテクノロジーをどんどん復活させてるすっげぇ人だろ? ひょー、知らなかったぜ、あんな子供みてぇな顔してこんな大きいガキがいたのか。まあ、三十八ならとうぜんか。ヤン族は童顔だからなぁ」
「父さんに会ったことがあるの?」
 タイガは複雑な気分に陥りながら尋ねた。父の名を耳にした者は、だいたいみんなミストのような反応を示す。生体研究者としての父の仕事が多くの人に知られているのはうれしいが、父の名前にばかり気をとられて、だれもタイガを見ようとしない。
 パイロット養成所にとんとん拍子で入れたのも、ジェイソン教官に気に入られているのも、父の名前のせいではないかと、どうしても疑ってしまう。いまこうしてアルゴ号の操縦桿を握っていられるのはすべて父の影響力のおかげで、自分の実力なんかこれっぽちも作用してないんじゃないかと……。
「俺、生体管理リングの大規模改良が話題になったときに、取材で〈エデン〉の生体研究所に行ったことあるんだぜ。そんときおまえの親父さんに案内してもらったんだよ」
 ミストは得意げに胸を張った。
「たしかにおまえ、プロフェッサーに似てるよ、鼻の形とかさ。でも、目は青いんだな。母親譲りか?」
 タイガの頭のてっぺんからつま先まで、ミストは無遠慮にじろじろと眺めてきた。黒い髪と黄色がかった肌を持つタイガは、ハーフではあるがヤン族の特徴を色濃くあらわしている。対するミストは典型的なエン族らしく、金髪緑眼で肌の色も薄い。年は二十歳前後だろうか。じっくり見れば端整とも品があるともいえる顔立ちなのに、みじんもそんな雰囲気を匂わせないのは、いたずらっ子のようにきらきら輝く目と楽しげに曲がった口元のせいだろう。かっこうはラフなクリーム色の長袖シャツと黒いハーフボトムで、トリトランサーの青い制服に囲まれると浮きまくって見える。
 タイガの目はふとミストの腰に吸い寄せられた。そこには銀色のベルトで白いレーザー銃が吊り提げられていた。護身のために武器を携帯する人はめずらしくない。タイガも電磁ナイフをベルトにさしている。だが、あつかいやすいナイフではなく手入れや修得が難しい銃を提げている人はちょっとめずらしい。しかも、すこしよれた彼の服に似合わないぐらい銃身がぴかぴかに磨かれていて、まるでミストの体の重心がそこにあるかのように目立っている。
「おまえ十二歳……じゃないよなさすがに。へぇ、十五? それでもずいぶん若いな。こんなチビに試験を受けさせるなんて、トリトランサーは人材不足か?」
「人材不足もあるけど、タイガくんはジェイソン老師のお墨付きよ」
「なり手が少ないのはいつものことじゃ、外界に出たがる若者は少ない。多くが実習で怖じ気づく。タイガくんは外の闇を恐れぬし、熱意もある。だれかさんと違って操縦も丁寧で正確じゃ」
「へぇ、老師がそう言うんなら先が楽しみっすね。いまのうちに独占インタビューでもしておくかな。よろしく、新米船長さん」
 ひょいとさしだされた手を、タイガは反射的に握り返してしまった。すっかり相手のペースに乗せられている。
「俺はミスト。フリーのライター。面白そうなネタがあったらここに連絡頼むぜ」
 手の中にはちゃっかり名刺チップが残されていた。呆然としてそれを眺めるタイガに、カリーナが苦笑し、
「タイガくん、こいつの横柄さやずうずうしさに呆気にとられるのはよーくわかるけど、操縦中は気を散らしちゃだめよ」
 いまさらな忠言をくれた。
「俺たちの命を背負ってんだ、よろしく頼むぜ、新米船長さん」
 タイガの集中を削いでいる元凶はへらへらと笑って、カリーナににらまれた。その視線をひょいとかわすようなしぐさで、一歩後ろへ下がる。
「で、そのチビ猫はだれのだったんだよ、ロン」
 下がるついでにミストはロンへ振り向いた。
 子猫はあいかわらずおとなしく、ロンの膝の上でまるくなっていた。虎縞の毛皮を撫でられ、気持ちよさそうに目を細めている。
 ロンはふっと短く息を吐いた。
「結論から述べますと、この猫は存在しない猫です」
「えっ」
「まさか……!」
 操縦室がざわめく。
「識別チップが体のどこにも埋めこまれていないので、データベースにアクセスしようがありません。この猫は正真正銘、野良猫です」
「野良ですって!?」
 カリーナが声をうわずらせて驚くのももっともだ。すべての生き物、とくに愛玩用の動物たちは、各ドームの統治局によって繁殖が管理されている。野良猫など存在するはずがない。タイガもこれ以上ないほど驚いていた。野良という言葉はかろうじて知っていたが、実際に使われる場面に遭遇しようとは。
「生態管理委員会に通報する必要がありますね」
 ロンが通信士のカリーナに目配せをする。その膝から、ミストがひょいと子猫をつまみ上げた。
「そんなことしなくってもよ、野良に生まれたんなら野良のままでもいいんじゃね?」
「おや、親近感ですか、ミストくん」
「しかしね、これは決まりなんだよ、ミストくん。この猫をきっかけに野良猫が増えたり、病が流行ったりしては困る。いまの合理的なペット制度も崩れてしまうよ。だから、気の毒だけどこの猫は処分しなくちゃいけない」
 アルフレッド船長も、ジェイソン教官に目配せしながらロンを支持する。
「んなこと言ってもさ、俺がきっかけで人口が増えたり病気が流行ったりなんてこと、なかっただろ?」
「人口はこれから増えるおそれがありますけどね……。人間と猫では話がべつです」
「ミストさんが……どういうことなんですか?」
 タイガは会話の中身がよく見えず、ロンに助けを求めた。
 ロンはすぐには答えず、ミストをちらりと見た。ミストはにやりと笑い、ぶんぶんと調子よくうなずいた。ロンは続いてジェイソン教官を見た。先ほどから野良猫の存在にも驚かずに泰然としていた教官は、微笑しながらゆっくりとうなずきを返した。ロンも心得たとばかりにしっかりうなずき、ようやくタイガに向き直ってくれた。
「これはアルゴ号の乗組員だけの秘密ですよ」ロンはそう前置きした。「じつは、ミストくんにもない、、んですよ」
「ない……って、まさか」
「そのまさかです。識別チップがないんです。だからどうやっても、アルゴ号搭乗拒否者リストやコックピットコントロールのブラックリストに入れられないんです」ロンが頭を抱える。「パスコード式にしてもすぐ解除されるし、彼の侵入を阻むにはどうしたらいいんでしょう……!」
 かってにアルゴ号に出入りするミストの存在は、職務に忠実な安全監査士を大いに苦悩させているらしい。
「なんだよチビ、ゴーストでも見たような顔だな」
 当の本人はへらへらと笑っている。タイガは驚きのあまり言葉を失っていた。野良猫のときよりももっとびっくりしていた。識別チップを持たない人間が存在するなんて、タイガの常識では……いや、この世界の常識では考えられない。
「知りてぇか、チビ? アルゴ号の怪談」
「怪談……?」
「このおんぼろアルゴ号にはな、どことも知れぬ異次元空間につながってる場所があるのさ。だからこうしてときどき、識別チップを持たない生き物が紛れこむんだ。そいつ自身、自分がどこからやってきたのかなんてわからねぇ」
「この子猫でまだ二例めだけどね」アルフレッドが口を挟んだ。
「まさか……」
「おっ、察しがいいねぇチビタイガーくん」
「ミストくんが発見されたのも、この船じゃった」それまでみんなを見守っているだけだったジェイソンが、ようやく口を開いた。「まだ二歳ぐらいの、ほんの小さな子供でな。貨物室で泣いていたから、はじめは迷子かと思ったんじゃ。むろん、迷子には違いないがの」
「そんなことって、あるんですか……」
「実際にあったのだからしかたないのう」
「統治局に知らせたりは……」
「無意味だと思ったのでの」
 教官はきっぱりと言った。
「それで、老師がこっそり彼を引き取ったんだよ。そこから先の話がまたふしぎでね。老師がこっそり識別チップを手に入れて、身内の医者に頼んでこっそり埋めこみ手術をしてもらったんだよ。でも、どこに埋めてもすぐ体外に排出されてしまうらしくてね」
 アルフレッドの説明に、ジェイソンが大きくうなずく。
「じゃあ、ミストさんはどうやって生活してるの?」
 タイガは思わず自分の左腕に触れていた。上腕部には生体管理リングがかっちりとはまっている。識別チップはその奥に埋めこまれているのだ。識別チップがなければさまざまな公共サービスが受けられないし、日常生活の料金の支払いさえできない。識別チップを持たずにこの世界で生きていくことは不可能だ。
 ミストの腕にも、しっかりと生体管理リングはあった。だから見た目はふつうの人となにも変わらない。
 タイガの視線を受け止めて、ミストが笑う。
「答えは簡単、携帯してるのさ」
 彼は胸元に提げていたカードケースから一枚のカードを抜き出して、ひらひらと振った。その独特の光沢は、だれもが持っている個人用IDカードのものだ。
「このカードに老師からもらったチップが挟んであるのさ。で、こいつをここに入れてやると、あらふしぎ!」
 ミストが胸元のケースにカードをしまいこむ。それはなんの変哲もないアンチスキャナーケースだ。タイガの身分や生い立ちを記録したIDカードも、通常はこのケースにしまわれている。本来、悪意あるスキミングからカード情報を保護するためのケースなのだ。
 それが、人ひとりぶんの存在ごと覆い隠してしまうなんて……。
 ミストはケースを指ではじいて満足そうに笑った。
「これで俺はそこらの認証機にとっちゃ“ゴースト”になるってわけ」
 ……それって、犯罪じゃないだろうか? タイガは不安に思ったが、周囲の大人たちは呆れと苦笑を浮かべこそすれ、だれもミストを咎めようとしない。
「ま、識別チップがあってもなくても俺は俺さ。実際にこうして生きてんだからな」
 指先でちょいちょいと子猫を撫でながら、ミストは言う。
「だからよ、おまえも人間の都合なんかに振り回されんじゃねーぞ、タイガー」
 子猫はさっきからずっとおとなしいが、ミストに撫でられても笑顔で話しかけられても、そっぽを向いてつーんとしている。
「タイガー……って」
 ミストは子猫にかってにタイガーという名前をつけたらしい。黒いしましまの毛色を持つ猫には、ありきたりだがぴったりの名前だ。だが、そこはかとない嫌みを感じるのはタイガの気のせいだろうか。……ミストがこちらを見ていやーな笑みを浮かべた。
「おまえもせいぜい名前負けしねぇようにがんばれよ、チビタイガー」
「タ・イ・ガだってば!」
 やっぱりわざとだ。なんで出会ったばかりの犯罪者(タイガ推測)にこんなにからかわれなきゃいけないんだろう。それに、タイガよりも子猫のほうがずっとチビだ。ぎりぎり平均的な身長に育っているタイガは、「チビ」と呼ばれることが釈然としない。
「タイガーもかっこいいけど、俺の名前もかっこいいよな。まさしくミストに包まれた男って感じでさ」
「どちらかといえばダストでしょ」横からカリーナが辛辣な口を挟んだ。
「あっ、ひどいですよカリーナさん。アルゴ号のゲストに向かって」
ゲストですって? アルゴ号を自分のネストにしてるのに?」
ゲストなら相応の礼節を守っていただきたいものですね。これ以上タイガくんの研修のじゃまをするなら、それこそ奈落のダストにしますよ」
 頭痛でもするのか、片手でこめかみをおさえながらロン。その表情から、いつもの苦笑が消えている。
「げ、そう怒るなって、ロン。悪かったよ。じゃあ、用はすんだし俺はひっこむぜ」
 言葉と同時に踵を返すと、無断侵入罪の被疑者はあっさり操縦室から出ていった。
 子猫もちゃっかり肩に乗せて連れ出している。去りぎわに一言、「通報する必要はねぇからなー」と念を押すことも忘れない。
 ひらひらと揺れる手がドアのむこうに消えていくのを見ながら、ロンがまた大きなため息をついた。
「どうします、老師。猫のことですが」
「うむ……」
 過去にミストのことを通報しなかったジェイソンは、めずらしく渋い表情を見せた。
「通報はせねばならんのう」
「では……」
 ヘッドホンをつけたカリーナが通信用マイクを口元に持ってくる。
「いや、カリーナくん、数日待ってもらえんかね」
「かまいませんけど……どうしてですか?」
「本部が猫のことを知れば、アルゴ号に徹底した調査が入るじゃろう。そうなると、アルゴ号はとうぶん飛べんじゃろう」
「ああ、なるほど」察しのいいアルフレッド船長がすぐにうなずいた。「タイガくんやほかの子たちの研修プログラムが終わるまでは、待ったほうがいいということですね。どんな事情であれ、試験は待ってくれませんからね」
「わかってくれるかね、アルフレッドくん」
「もちろんです。ミストくんの秘密が本部に知られてもやっかいですからね」
「そういう理由なら、私も秘密にしておきますわ」
 カリーナが通信用マイクを下げた。
「わかりました。僕も秘密にします」
 ロンもカリーナを横目で見てうなずいた。
「すまんのう、カリーナくん、ロンくん」
 ジェイソンがほっとしたように笑う。
 タイガは彼らのやりとりにひそかに感動していた。養成所のジェイソン教官だけでなく、サポートメンバーであるアルフレッド船長やロンやカリーナまでも、タイガやほかの生徒たちのことをこんなにも考えてくれているとは。
 喜びで胸を熱くしながら、タイガも宣言した。
「先生、僕もだれにも言いません」
 ミストと野良猫。アルゴ号の船員たちが持つ秘密の輪に、自分も加わった。その密やかな連帯感が、まるで自分もトリトランサーたちの一員として迎えられたようで、タイガの心は小さな幸せにくすぐられていた。

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