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死神に対する感想

 夕方、改札を出たら目の前に葬式の矢印があった。白地の立て板に描かれた黒い矢印が、真っ直ぐ右を向いている。なんとなく嫌なことに、それは私が帰る方向だった。
 矢印に従うように右を向きながら、私は否応なく、学校の授業で描き終えたばかりの自画像を思い出していた。その課題は私の気をたいへん重くさせた。自画像を描くことは、私にとっては死神を描くことに等しい。そして、完成した絵は真っ直ぐに私を見ていた。……思っていたとおりだった。
 足を速めて次の角を曲がったら、そこにも矢印の立て板がぽつんと置かれていた。夕暮れの薄闇をじんわりと集めつつあるかのようなインクの黒さに、身震いした。
 大鎌を携えて黒衣を纏った骸骨姿の死神が架空だとしても、「死神」と名を与えられた不可視のなにものかが、日常の生命を脅かしていることに間違いはない。私は死神に対して、骸骨ではない別のイメージを抱いていた。そのイメージでは、死神は常に私の背後に潜んでいて、私と同じ姿をしている。五歳なら五歳の、十七歳なら十七歳の私と同じ姿形で、死神は一緒に成長しているのだ。それゆえ、私の自画像は、私の死神像でもある。
 丁字路で、黒い矢印は右を指していた。私は矢印が示すとおりに角を曲がった。どうも、矢印につきまとわれているような気がしてならない。それとも、私が矢印の後を追っているのだろうか。
 ある美術展でギュスターヴ・モローの「若者と死」という絵を見たとき、私は自分自身とともに育つ死神の存在を確信した。モローの絵には、美しい肉体を晒して立つ若者が描かれていた。彼の若さにもかかわらず、その絵は死を暗示する物で埋め尽くされていた。足下には消えゆく灯火を悲しげに見守る天使がいた。背後には「死」と定義された女性が彼を護るように浮いていた。彼女は剣と砂時計を持っていた。若者が確実に死に向かう運命であることが、見る者すべてに明らかにされていた。初めてこの絵を見たとき、私は「死」の女性が若者自身であるかのような錯覚に陥った。髪の長さだけでなく、二人は雰囲気もよく似ていた。やや憂いを帯びた眦とか、もの言いたげな口元とか。そして、あのときの錯覚は今でも続いている。「若者と死」を思い起こすたびに、私は背後の「死」を思い出して身震いする。
 黒い矢印は信号を越えて細い道を示していた。追うように私も細い道へ入る。矢印の先に興味を覚えたわけではない。私はただ帰りたいだけだ。
 矢印は住宅街に密集している家々を無視してさらに奥へと続いていた。薄暗い道に白い立て板がぼんやりと光って見える。嫌な予感は大きく膨れあがっていた。なぜ、葬式の矢印だなんて思ってしまったのだろう。家名も会場名の表記もない、まわりに喪服の人もいない。それなのに、他の意味を思いつけないなんて。不気味な黒の矢印は、誘うように私の前に現れる。あんな絵を描いてしまったから、死神が私を招こうとしているのか。「死」が現実に現れようとしているのか。恐怖を振り払えなくなって、私はついに走り出した。
 最後の角の手前で、私は息を詰めて立ち止まった。そして深く息を吐き出した。黒い矢印は別の道を指してそのまま奥へと消えていた。いきなり飛び込んできた自動車をギリギリで逃れたような緊張だけが残って、私の足を震わせていた。でも助かった。黒い矢印を反らしてくれたのはモローの天使か、はたまた私と矢印をここまで導いた「偶然」という名のなにものか、あるいは「死神」の気まぐれか。いずれにせよ、私は今、生きている。生きて、家にたどり着こうとしている。汗ばんだ手を確かめるように開き、暗がりの中でポケットの鍵を探った。

 葬式を知らす矢印我が家の一つ手前の角にて折れる
かつて詠んだ歌と、授業で出た「自画像」というテーマ、そして過去の絵画体験を混ぜ合わせてみました。


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