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月光と月と三日月の剣

第八章 終わりの前触れ

※下巻のアクションシーンの一例です。主人公 vs ヒロインを、ネタバレにならない範囲で。

3. 勝負

 一瞬、返すべき言葉を失った。
 思わずまじまじと相手の顔を見つめてしまったから、いまさら無視もできなかった。
「勝負は真剣を使いましょう。殺す殺さないはお互いの自由で」
「なにを考えている!?」
「わりとなにも考えていません」
 憎たらしいほど涼しい顔でそう言って、ラスクが〈月光〉を鞘から引き抜いた。
 薄闇の中で、その刃は淡く光を発している。
「あなたも、一発ぐらい私を殴りたいと思ってるでしょう。いい機会ではないですか?」
「殴ったあとにねじり上げて逆さまに振ってやりたいぐらいだ」
 それだけで腹の虫が治まるとも思えないが。
「そこまでして、なにか賭けるつもりなのか」
「賭博にだけは手を出すなと、ザントゥールから固く言われておりまして」
「……冗談ならもっとわかりやすく言ってくれ」
「ですから、お金も自分自身も賭けません。ただ、お互いのほとぼりを」
 ほとぼり?
「……もしかして、誇りのことか?」
「それです」ラスクがこくりとうなずいた。
 決め顔でしれっと間違えやがったこのド天然!
「賭けるものは互いの誇り。勝負とはそういうものでしょう?」
 自分の言い間違いをあっさりなかったことにして、彼女は鞘を捨て、右手の剣を構えた。
 出会ったときと同じ、剣先を下げた特殊な型だ。
 無防備と見て突っ込んでいけば、跳ね上げた剣先で腹をえぐられる。
 剣をすばやく跳ね上げるにはそれなりの力が必要なので、本来、腕力のない者がとるべき構えではない。〈月光〉の軽さがあるからこそできるのだろう。
「お互い、手加減はなしということで」
「くそっ、どうなっても知らないからな!」
 とうとうアレスもやけになって、クレセンティウスを引き抜いた。
 ここまできたらあと戻りはできない。
 この娘と戦ってみたいと、そう望んでいたのは自分だったはず―――
 ざわり、と嫌な血が騒ぐ。
 その感情を抑えつけるため、正面に構えた剣の奥に、娘を睨む。
 手入れしたばかりのクレセンティウスをまた刃こぼれさせるのは不愉快だが、しかたがない。この娘相手に一撃で決めるのは無理だろう。俊敏さは同格。力はこちらが上。攻めるほうが楽に戦えそうだが、待ちの型を得意とする相手に突っ込んでいくのは浅はかだ。体力の劣る女相手なら、持久戦に持ち込むほうが確実だ。だが、決着は明るくなる前につけるべきだ。薄闇で視界がすぐれない間は、〈月光〉の光は彼女の剣筋を明かし、こちらの剣筋を目隠ししてくれる。
 戦う前にそう冷静に計算する自分が嫌になる。まるでマイアの言葉どおりだ。
(俺が感情を忘れてるって?)
 いつだって、こんなにはらわたが煮えくりかえっているのに。
 意外にも、ラスクのほうが先に動いた。
 アレスの思考が逸れた一瞬の隙を見抜いたのかもしれない。
 腹を狙う一太刀。これは簡単にはじき流せた。オーリンよりは力が軽い。
 だが、斬撃はたて続けに降り注ぐ。ラスクもまた俊敏さを身上としているのか、オーリンそっくりの戦いかたをする。
 いや、すこし違う。
 相手の軸を左右に振って体勢の乱れを誘うようなことはしてこない。こちらの軸もラスクの軸も、はじめからまったくぶれていない。剣が打ち合う音は一定の拍子を刻み続け、まるでかろやかな舞踏曲のよう。
 一定の――― まさか。
 ふいに速度を増した突きが首を狙ってきた。
 剣で受けずにのけぞり、紙一重で避けた。
 飛びすさって一度、間合いをとる。
 絡繰りに気づくのが遅れれば、危うかった。いままでの攻撃に体が馴らされ、すばやい一撃に対応しきれなくなるところだった。
 アレス自身たまに使う手だが、使ってくるような手慣れた相手は、これまでほとんどいなかった。
(ザントゥールめ、こんなえげつない術まで仕込みやがって……!)
 ラスクは再び剣先を下ろしてじっと待ち構えている。さっき息を乱していたのは演技かと思うほど、呼吸は落ち着いている。調息法もしっかり身につけている証拠だ。
 体勢を崩しにくいタイプだ。すこし自分に似ている。
 アレスは肘と足をわずかに引いて構えを変えた。
 俊敏でしかも安定感のある相手には、いつもの薙ぎ払うような戦いかたは不利になる。動作がどうしても大ぶりになるからだ。
 隙がすくない、突きを主体とした構えへ。
 間合いを防御する意味もある。ラスクはオーリンと同じく、相手の懐に飛び込んで攻撃を封じる戦いかたを好むようだから、できるだけ間合いに入れたくない。幸い、間合いの測りかたならこちらのほうが長じている。ラスクは体のバネを利用して一息に距離を詰めることは得意でも、ぎりぎりのところで綱渡りのように足を運んで相手をあしらう動きには慣れていないようだ。これは実戦経験の差だろう。彼女はこれまで、ほとんどの相手を一撃で破ってきたはずだ。何度も打ち合ったことがある相手は、ザントゥールぐらいか。
 だとしたら、ザントゥールはずいぶん泰然とした剣筋の持ち主だったに違いない。ラスクはまるで、大きな岩を穿つかのような打ち合いをする。
 相手のことを知れば知るほど、戦いはどんどんおもしろくなっていく。
 かつて剣聖エルスィールと剣を交えたときもそうだった。衛兵として初めて王宮の警護に着任した日に、いきなり王の前に引っ張り出され、非常に不愉快な気分になっていたが、試合の鐘が鳴ると同時に相手に打ちかかったそのあとはもう、楽しくなっていた。

以下、文章はまだ続くのですが、ネタバレがあるので割愛します。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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