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月光と月と三日月の剣

第一章 忙しい夜

2. 黙祷

 男はすぐに死体を漁りはじめた。
 彼の狙いは、野盗たちが帯びている武器や金銀細工の装飾品だ。どれも古市で売ればそれなりの金になる。稼業の最中に全財産を持ち歩いている野盗はめったにいないが、無一文で歩いている野盗というのもめったにいない。いざというときのために、金目のものを必ず身につけている。それらを八人ぶん根こそぎかき集めれば、三日は楽ができるほどの額になるはずだ。
 なるはずだったが……。
「おいおい、あんたら、これっぽっちの男かよ。このご時世に、ずいぶんお上品な稼ぎかたをしてるようだな」
 これじゃ安宿がせいぜいだ、と愚痴る男の横を、すっと少女が通り過ぎる。
 やっと立ち去ってくれるか、という男の期待は、儚くも裏切られた。
 少女は街道の端に膝をついた。そこには、男に刎ね飛ばされた野盗の首が転がっている。そんなものに金目のものがくっついていただろうか、訝しみながら男が横目でうかがっていると、少女は生首へ手を伸ばし、見ひらかれたままの目をそっとつむらせた。
 それから、胸の上で両手を重ね合わせ、わずかに頭を垂れた。
 黙祷の姿勢だ。
「なにをして―――
 いるんだ、フレア。
 思わずこぼしそうになった呼びかけに、男ははっとして口を噤む。
(どうかしている。どこもフレアに似てないじゃないか)
 まず、髪の色からして違う。妹はやわらかな亜麻色だ。それに、顔つきも可憐でやさしい。笑ったり困ったりむくれたり、あるいははにかみに頬を染めたり。帰還した兄を見て、安堵の泣き笑いでくしゃくしゃになったり。風に吹かれる健気な花のように、さまざまな表情を見せてくれる。
 目の前の無表情な少女と似ているところといえば、せいぜい、折れそうに細い体つきぐらいだ。それから、頭をわずかに垂れて祈るその姿勢も。
 妹も昔、死者を前にして、しばしば祈っていた。自分はそれを見るたびにこう言った。「なにをしているんだ、フレア。死んだやつにそんなことしたって、無駄だ。死んでるんだから、喜びも嘆きもしないさ」「でも、兄さん――― 」そのあと妹は泣きじゃくりながらいろいろ言っていたが、あまり思い出したくはない。
 ……くだらない。じつにくだらない。女はくだらない感傷ばかり持っている。この少女もきっと、一時の感傷に流されてこんな行動をとっているだけだろう。
 妹の名を呼びかけそうになった気まずさを、呆れを強めることによってごまかし、男はなにごともなかったような顔で自分の作業に戻った。

* * *

 男が一人で勝手に焦ったり呆れたりしている間も、少女はずっと祈りの姿勢をとり続けていた。瞑目したまま、小揺るぎもしない。呼吸をしているのかも定かではない。自分の命を奪おうとしていた野盗に向けるにしては、ずいぶんと念の入った黙祷だ。
 男が偏見を交えて推測したとおり、死者を前にして切々とした哀悼の情が彼女の胸に湧き上がり、その真摯な行動へと駆りたてている――― というわけではなかった。
 彼女がただぼんやりと思い描いているのは、ザントゥールのことだけだった。
「わしらは死を糧にして生きているのだよ」とは、狩人である彼の言だ。「だからこそ悼み、そして、感謝をするのだよ」彼はいつもそう言って、食前の席で必ずその行いを実践してみせた。
 そんな養い親を見て育った少女も、食前に、あるいは生き物の死にさいして、祈りを捧げることを覚えた。たとえ自分が食べないものでも、その死がほかの生き物の糧になることに変わりはない。だから、必ず祈るのだ。狩人を父に持ったおかげで、ラスクは幼いころから生と死の関係を理解していた。
「大事な役目を迎えたこの命を、生誕までさかのぼって祝福する、それが我々にできる、死への感謝なのだよ」幼子に言い聞かせて瞑目したザントゥールの顔は、いつにもまして穏やかで、やさしかった。いま、その表情をぼんやりと思い浮かべたがゆえに、彼女の身体は自然と養い親を真似、野盗たちに黙祷の仕草を捧げている。祈るための心はからっぽで、なんの悲哀も憐憫も感じず、ましてや感謝など捧げていないとしても。
 いや―――
(ザントゥール)
 唇がかすかに動いてその名を呼ぶ。
 野盗相手ではなかったが、彼女はたしかに祈っていた。
(セディア、〈琥珀〉……)
 封じ込めていたはずの記憶がおぼろげに動きだしたのは、この凄惨な場に漂う香りのせいか。
 閉ざした瞼の奥で、“その日”がじわじわと像を結びはじめる。
 自分は以前にも、こうして祈ったことがあったはずだ。
 手足が汚れるのもかまわずに、地に膝をつき。
 彼らのそばで。
――― !)
 なにか恐ろしいものが込み上げてくるのを感じ、組んでいた手をとっさに振りほどいた。逃げるように立ち上がる。
 耳元をかすめ、小さな風が巻き起こったのはそのときだった。
 はっとして振り返る。
 そして、目撃した。
 死人の懐を漁る男、その背後。
 血を流す腹を押さえながら、いまにも男に短剣を投げつけようとしている、一人の野盗の姿を。

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