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月光と月と三日月の剣

第一章 忙しい夜

1. 野盗

 黄昏の残滓はすっかり濃紺の闇に塗り替えられていた。星は滴り落ちんばかりに満天を彩り、月は天頂に昇りつめてしらじらと地表を照らしている。
 その月明かりの下を、斬り進むように動く光と影があった。
 光は男が持つランタンの炎で、影は彼の乗る黒馬だ。彼らは夜になっても休まず、まだ街道を進み続けていた。
 男はなぜか己の存在を誇示するように、ランタンを頭上高く掲げている。
 ときどき馬の歩みを止め、闇の先にじっと耳を傾ける。
 あるいは、目を細めて遠くを見遣る。
 なにかを捜しているようだった。
 やがて、鳶色の瞳に剣呑な光が灯る。
 口元には、うっすらとした笑み。
 彼がランタンの火を吹き消すと、馬は緊張した様子で足を止めた。
 その鞍から音もなく滑り降り、馬を道の端に留めると、男は草に身を潜めて歩きはじめた。
 慎重に草をかき分けながら、にじるようにゆっくりと進む。
 折良く風が吹きはじめた。彼がたてる草ずれの音は、草原のざわめきにまぎれた。
 そして、いくらも進まぬうちに、彼の視界は揺れる炎を捕らえた。
 黒い革手袋に包まれた手が、そっと剣の柄に触れる。
 狩りの成功を予感しながら、彼はじりじりとその炎へ近づいていく。

* * *

 じりじりと近づいてくる気配を、風が告げる。
 街道脇に焚き火を熾して野宿をしていた少女は、はっとして目を覚ました。
 嫌な予感が胸に湧き上がり、それはすぐに確信へと変わった。
 草の匂いに、かすかな鉄の匂いが混ざっている。
 薄く開けてみた目の先には、焚き火を反射してちらちらと光るもの。
 だれかが引っ提げた抜き身の剣だ。その光が、ゆらゆらと不気味に揺れ動きながら、こちらに迫ってくる。
 野盗だ。
 商人や旅行者を襲い、金目のものを奪う無法者たちだ。それも、人殺しを厭わない手合いだろう。彼らにまとわりついて離れない血の匂いが、その事実を雄弁に語っている。
 ……このままでは殺される。
 少女の手は、胸に抱いたものへと伸びた。
 毛布を動かさないよう気をつけながら、右手をそっと剣の柄に当てる。
 手のひらがぎゅっと冷たい感触を握り込む。とたん、その場所からじわりとふしぎな熱が湧き上がる。熱は血脈のように体を巡り、すみずみにまで広がっていく。
 一度だけ、心臓が大きく跳ねる。
 闇を裂いて突然の光芒が射し込むように、あらゆる感覚が冴えていく―――
(もう囲まれている。七……いや、八人)
 身を横たえて薄目を開けたままの状態で、少女は周囲の状況を正確に察知していた。
 闇色の瞳に灯るは、刃物めいた鋭利な輝き。
 きゅっと引き締められた口元は、かすかに笑っているかにも見える。
 人形のように茫洋と草地を歩いていた少女の面影は、すっかり消え失せていた。
 いま、彼女の面を支配しているのは、戦う者の表情だ。
 いや、狩猟者の表情というべきか。
 爪を研ぎ終えたしなやかな黒豹のごとく、闇に身を横たえ、じっと獲物を待つ。
 ゆっくりと、ゆっくりと引きつけ―――
 跳ね起きようと、全身に力を込めたときだった。
「待て!」
 静寂を破る大音声が響きわたり、野盗たちが驚いて振り向くよりも早く、一人の首が吹っ飛んだ。
「なにぃっ!? 」
 驚愕の声を斬り伏せて、再び白刃が閃く。その剣さばきは寸分の狂いもなく、あっという間に二人目の首を飛ばした。
「だ、だれだっ!? 」
 呻いた野盗を、べつの白刃が襲った。
 少女が闖入者に気を奪われたのは、一瞬だけだった。すかさず跳ね起きたときにはもう、剣を抜いていた。その刃を、近くの野盗の頸動脈へ正確に押し当て、すり抜けざまに掻き斬る。
 勢いよく噴き上がる血潮を跳んで避け、べつの野盗がやみくもに振り下ろしてきた一撃を、両手で支えた刀身で受け止める。
 闇に鮮やかな剣花が散った。
 刃をはじかれた野盗は、驚きに目をみはった。子供と思えぬ力も意外だったが、それよりも―――
「け、剣が……」
 少女が扱う剣は、鉄の剣ではなかった。
 旧い時代の、銅や青銅の剣でもない。
 いったいなんでできているのか、皆目見当のつかない素材――― 少女の細腕でも扱えるほどだから、とても軽いに違いない。そして、剣として機能するほどの鋭さを持っているのも、間違いない。
 だが、最も驚くべきはそこではない。なんとなれば、その刀身は、磨き抜かれた水晶のように透き通っていたのだ。
 血に曇ってもなお、内側から放たれたような光を帯びている。
 少女が剣を一振りすると、光の軌跡を描くような幻が見えた。
「月……」
 呆然とつぶやいた野盗は、その瞬間に事切れていた。
 血煙を上げて草むらに倒れる男には目もくれず、少女は次の野盗に向かった。こちらに斬りかかろうとして腕を振り上げたところを、すれ違いざまに斬り上げる。
 脇から入った刃はやすやすと骨を断ち斬り、失速することなく、首の頸動脈にまで達した。
 飛び散る鮮血とともに、野盗の片腕と、驚愕の表情を浮かべた首が宙を舞う。
 あっという間に三人を葬った少女は、すばやく周囲に目を走らせる。次に屠るべき獲物を探すために。
 ちょうどそのとき、少女を庇うように立っていた背後の男が、最後の野盗を蹴り倒し、腹に突き立てた剣を引き抜いていた。

* * *

 焚き火の周囲は瞬く間にもとの静けさを取り戻した。不運な野盗たちは逃げだす隙も与えられずに一掃され、動くものは、少女と、闖入者の男と、揺らめく炎だけになった。
「子供相手に八人とは、ずいぶん人手に余裕のある野盗だな。無事か?」
 野盗の服で剣の血糊を拭って鞘に収めた男が、背中合わせの少女に声をかける。まったく息のあがった様子のない、落ち着いた声だ。
「おかげさまで。ありがとうございます」
 少女は感情のこもっていない澄んだ声で、礼を返した。右手の剣はまだ抜き身のままだ。
 その刃が届かないところまでぱっと跳んで身を離した男は、目を細めて相手を見遣り、
「すごいな」
 と、つぶやいた。
 言われて初めて気づいたように、少女は髪に手を当てた。手のひらがべったりと血まみれになった。それを見て顔をしかめることもなく、スカートで手を拭いながら淡々と、
「返り血です。怪我はありません」
「いや、そっちじゃなくて。ちらりと見たが、たいした腕前だ。まだ十二、三の子供、」
「十五です」
「……それは失礼。十五の娘が、いったいどこでそんな剣術を身につけたんだ? それに、その剣―――
「あなたは、どうしてここへ?」
 少女は男の質問をあっさりと無視した。
「ああ、俺も野盗だと思われてるのか」
 いまだ鞘に収まることのない剣を一瞥し、男が肩をすくめる。
「ま、似たようなもんだな。認めよう。いまちょっと、路銀が尽きててね」
 ぱっと開いた両手を挙げて、あっけらかんとそんなことを言う。
 剣先を下げたままの少女が、さりげなく足を移した。
「待て待て、最後まで聞いてくれ」男は慌てた。少女が剣を構えたのに気づいたからだ。素人目には剣を下ろしてただ突っ立っているだけの無防備な姿勢に見えるが、じつは特殊な構えの一つだ。少女の視線はさっきから男の腰の剣に据えられたまま、揺るがない。男が妙な動きを見せれば、たちまち踏み込んで斬り上げるつもりだろう。
「俺の狙いはここに転がってる野盗だけだ。あんたのような女子供を襲う気はない。まったくない」頭上で両手を組み、男は必死にそう主張した。「路銀稼ぎにここらの野盗でも襲おう……というか襲われようと思って夜道を歩いていたところに、お仕事熱心なやつらを見つけて、たまたま一緒にあんたがいたってだけだ。助けたのはついでだから、礼金を要求するつもりもない。むしろ、俺が助ける必要なんてなかっただろ。あんたがそこまで剣を使えるとは、まったくの予想外だったよ」
「……あなたの事情はわかりました」
 少女はやっと構えを解いた。視線も男の剣から外れて、まっすぐに相手を見る。
「つまり、あなたは野盗の野盗というわけですね」一人で納得したようにうなずく。「それも、多勢に無勢でも絶対に勝てるつもりの、自信家さんなんですね」
「言うね。寸分違わずそのとおりだ。……で、野盗も同然の俺は、これからあさましく死人の懐を漁るつもりだが、あんたにはお目こぼしを願いたい。立ち去ってくれてもいい」
「私には目をこぼすという芸当はできませんが、」首を傾げながらも、少女は真顔で言った。「あなたがお金を必要だというのなら、お好きにどうぞ。そのためにあなたが人を殺そうとも、死人の懐を漁ろうとも、私がとやかく言うことではありません」
 剣の血糊を自分のスカートで丁寧に拭い、鞘に収めながら淡々と、
「私だって、人殺しですから」
 そうつけ加えた。
「……ご厚情、痛み入るね」
 しばしうかがうように相手の顔を見つめた男だったが、肩をすくめ、それ以上はなにも言わなかった。

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