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双子の夜と魔女の生贄

第一章 流星の夜

3. 落ちる星

夜空の星をかぞえましょう
ひとつ見つけて 夜のあいさつ
ふたつ見つけて しばしのわかれ
みっつ見つけて 愛のあいさつ
よっつめならば やさしいキスを

流れる星をかぞえましょう
ひとつめの星 妖精のソリ
ふたつめの星 天使のなみだ
まっかな星は 魔女の爪痕
ながい尾の星 恋しいあのひと

 伸びやかな声でアイが歌っている。カーシュ地方の民謡だ。単調なメロディが口ずさみやすく、子供から老人まで広く親しまれている。はじめは一番だけの短い歌だったが、繰り返し歌われるうちにいつの間にか二番もついてまわるようになった。アイが歌ったもの以外にも、恋人との濃密な逢瀬を描いたものや人生の栄華を皮肉ったものなど、さまざまな派生歌がある。
 やさしい子守唄にも聞こえるこの民謡をアイはとくに好んで歌うが、長い尾の星を〈母の星〉と呼ぶのは、この歌だけが根拠ではない。もともとカーシュ地方には、長い尾の星は大切な人が変化した姿だという言い伝えがある。一年に一度だけ願いを叶えてくれる、特別な星だ。
 姉の歌を聞きながら、鐘楼はこんなに明るかったっけ、とユイはぼんやり思う。樺色の髪と白いリボンを揺らしながら歌いあげるアイの瞳は、星明かりを受けて翠玉のようにきらきらと輝いている。
 彼女の艶やかな歌声は、すでに子供の域を超えかけている。詩人に憧れているアイは練習に余念がなく、子供たちの中ではずば抜けて歌がうまい。将来はネク族一の詩人になるだろうと言われている。ユイは姉の歌を聴くのが大好きだし、そんな姉と仲がいいことも嬉しかった。なにより、見かけも歌声も美しい姉のことが、わがことのように誇らしい。
 腕を組んで石壁にもたれたハヤが、いかにも心地よさそうに耳を傾けている。歌い終わった姉と二言三言交わし、少年のように屈託なく笑う。
 なんて幸せな光景だろう、とユイもつられて微笑みながら思う。
 みんな笑っているなんて。
 こんなに笑顔にあふれた時間は、一族の中にはなかった。いつもだれかがどこかでしかめ面をしていた。いつもだれかが怯えていた……。
 だけど、いまは恐ろしいことなどなにもない。石と埃の匂いばかりだった鐘楼さえ、太陽の光のような暖かい匂いに満ちている。
(懐かしいな。ずっと前にも、こんな匂いに包まれてたような気がする……)
 記憶を探るように、ユイは彼方へと視線を投げた。窓の外を覆う無限の闇、その底を浚えば、求める答えを見いだせそうな予感があった。
 とたん、白い光が視界を灼いた。
 ――― 流星が飛びこんできたかに見えた。
 狭い鐘楼の中を、光が音もなく埋めつくす。さらに光は震えるように収束し、しだいに人の形をとった。
 手が舞うように浮かびあがり、スカートが広がり、足が宙を踊り……完全に人間の形になると、羽根のようなかるさで、ふわりと窓辺に降り立った。
 驚いたのはその髪の色だ。金に近い輝きを持つ、明るい樺色。ネク族の中でただ二人、双子だけが持つ髪の色と同じだ。背中まで豊かに伸びた癖毛の波打ちかたも、長さ以外は双子とそっくりだ。
(マイアさんから聞いたとおりの……もしかして、母さん?)
 顔は逆光でよく見えない。背格好だけなら十七、八に見えた。一族の娘には珍しい、しゃれた肩あきの服を着ている。
 このふしぎな出来事に意見を求めようとして姉に目をやると、アイは窓枠にもたれ、いつの間にか眠っていた。
 母らしき娘がアイの顔を覗きこむ。光を帯びた指先が、少女のやわらかな頬に触れる。そのまま愛おしそうに髪を撫でる。
(……ああ、やっぱり母さんだ。長い尾の星になって、会いに来てくれたんだ)
 その感動は、あふれんばかりの喜びというよりはなぜか泣きだしたい衝動となって、ユイの胸を締めつけた。
 母はつづいてハヤの前に立った。手を後ろに組み、無邪気な仕草で長身の旅人を見あげる。
 ハヤは洗練された仕草で優雅に腰を屈めた。笑みを含んだ口が、親しげに名を呼びかける。
 ――― さん? きれいなお名前ですね。俺はハヤと言います……。
 ユイには母の声がよく聞こえなかったが、ハヤは笑顔でなんどか相槌を打ったり言葉を挟んだりしている。母も楽しげに笑っているようだ。
(ハヤさんと母さん、もうあんなに仲良くなったのね)
 この旅人が自分の父親だったら楽しいのに、とユイは夢想したが、そんなことを考える自分が恥ずかしくなってすぐに頬を赤らめた。
 双子の父親はだれかわからないが、ユイはそれを気にしたことはない。ネク族ではよくあることだ。親がいようといまいと、子供たちは家族単位ではなく一族全体で育てられる。女族長を中心とした大家族のようなものだ。
 とはいえ、いつもしかめ面をしている族長を母に見立てて甘えるわけにはいかない。“本当の母”の足にまとわりついてはしゃぐ子らをよそ目に、寂しさを募らせることもしばしばだった。それでも、やさしくて頼りになる姉がいつもそばにいてくれて、母のようにユイを護ってくれるのだから、自分はほかの子より恵まれていると思っている。
 たとえ、十四歳で〈クグル〉になる定めだとしても。
 内贄クグルは通常、病気や老いで働けなくなった者が選ばれる。まだ若く健康なユイがクグルに選ばれるのは、一卵性双生児が同じ血を持っていると考えられているためだ。どこを向いても親戚ばかりの小さな一族の中で、血が濃くなりすぎないよう、子を産む前に間引きされるのだ。十四にもなれば、どちらがより健康的か、どちらがより稼ぎ手としてふさわしいか、だれの目にもあきらかになる。
 自分が姉の代替えでしかないことを、十三歳のユイはすでに理解していた。姉と一緒にいられますようにと願っても、その期間はあと半年もないのだ……。
 ならばせめて、この暖かな時間が一瞬でも長くつづけばいい、いまは母にそう願いたい気分だった。
 だが、幸福な時間は泡沫のようにはじけ飛んだ。
 にこやかに話していたハヤの顔が、ふと悲痛な翳りを見せた。
 同時に、母が東の空に向かってすっと手をさしのべた。
 それはまず、腹の底を揺さぶるような感覚としてあらわれた。
 音だ。唸りをあげるような音が、どこからか近づいてくる。ユイは驚いて窓枠に飛びついた。
 視界に飛びこんできたのは、禍々しい赤だった。
 流星、いや、隕石だ。真っ赤に燃え盛る火球が、東の上空に浮いている。浮いているだけではない、轟音をたてながら宙を裂き、まっすぐ、こちらに向かって落ちてくる。
(……!!)
 ユイは耳をふさぐことも、目をそらすことも忘れ、突然降りかかってきた天災に身を強張らせていた。体中を満たす恐怖が楔となってユイの足を地に縫いつけ、アイのもとに駆け寄ることすらできない。
(アイはまだ目を覚ましてないの? ハヤさんは? 母さんはどこに行ったの?)
 すさまじい音とともに燃えながら落下する星は、ユイたちの鐘楼には届かなかった。リト市にも届かずにすんだ。その代わり、市壁の向こうの大地に墜落した。
 衝撃で地面が揺れ、鐘楼も揺れた。
 わずかに遅れた爆音が鼓膜を打ちのめす。
 ややあって、星が落ちた場所から、大きな火の手があがりはじめた。
 あの方向にあるのは、一族の野営地だ。
 ユイは瞬時に悟った。赤い星は自分たち一族を直撃したのだ。
(……私たち、帰れなくなっちゃったの?)
 へたりこんだユイは、そう思いながらも本当はほっとしていることに気づいた。願いは叶えられたのだ。母が叶えに来てくれた。これでもう、クグルとして選ばれる未来に怯えることなく、ずっとアイと一緒にいられる……。
 落星の衝撃で揺れた鐘が、頭上でやかましく鳴り響いている。運命からの解放を祝福するように、あるいは、一族の滅びを願うユイを責め立てるように―――

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