TOP » Library » 長編小説 » 双子の夜と魔女の生贄 » 1-2. 流星群

双子の夜と魔女の生贄

第一章 流星の夜

2. 流星群

 双子は夜の街を足早に歩いていた。石畳を叩くかるい靴音が、石造りの街に反響する。あたりはしんと寝静まっているから、かすかな音でもよく通る。足音も息も潜めぎみに、しっかりと寄り添いながら、双子はリト市の大通りを進んだ。
 帝国の帝都近辺ならいざ知らず、カーシュ地方の多くの都市には、街灯というものは存在しない。一般的な小都市のリト市にも、やはり街灯はなかった。手燭と満天の星だけが、二人の足元を照らしている。
 手燭はアイが持っている。昼のうちに、一族の幌馬車からこっそり持ちだしておいたのだ。上の口が広くなった四角柱の風除けがついていて、木製の持ち手がそれを支えている。風除けは磨かれた青銅でできている。小さな灯火は金属の板に反射し、黄金色の大きな光となるのだ。
 二人は東門から伸びる大通りをまっすぐに進み、中央広場に建つ鐘楼を目指した。市内へ頻繁に出入りするアイが下見をし、鐘楼の入口の鍵が壊れていることは確認ずみだ。
 子供だけの秘密の冒険は、だれにも咎められず、順調だった。広場まで辿り着くと、双子はほっと息を漏らした。
 だがすぐに、いま吐いたばかりの息を呑むことになる。
 広場の奥には、レンガを積みあげた細長い鐘楼の影が見える。そのとんがり屋根の真上に、突如、光が出現したのだ。双子ははじめ大きな流れ星だと思ったが、よくよく見ると様子がおかしい。
 満月に似た青白い光は、上から押しつぶされたようにぐっと横に延びて、屋根と同じぐらいの大きさの、二重の円になった。円の中で無数の小さな光がくるくる飛び交っている。屋根の上の風見鶏もくるくるまわっている。
妖精シーの踊り?」
「あっ、人が……」
 ユイがアイの手を引っぱった。円の中央に、いつの間にか人影が出現していたのだ。
 それはたしかに人の形をしていた。背で大きくひるがえっているものは、外套だろうか、下からの風と光を受け、真っ白な翼のようにはためいて見える。その周りでは小さな光が羽根のように舞い、宙に溶けるように消えていく。
 謎の人影は円の中心、つまり、とんがり屋根の頂点に着地するかに見えたが、風見鶏がそれを拒んだ。人影は鶏冠を踏んだとたんに体の平衡を崩し、頭を下にして屋根をすべり落ちた。
「あっ」双子は青ざめた。互いの手を握る力が強くなる。
 人影はすべり落ちながらあざやかに後転した。屋根の縁を両手でがっしり掴んでぶらさがり、落下を免れる。双子はほっと胸を撫でおろした。
 そのとき、鐘楼を照らしていた光の環が、風にあおられたように消えた。広場に元どおりの闇が落ちる。
 それでも、双子が“謎の人影”を見失うことはなかった。白い外套が星明かりの中でも目立つうえ、うなじのあたりでひとつに結ばれた長い金髪が、闇夜でもかすかに光って見えたからだ。背中まで髪を伸ばすのは、ネク族では女性しかいないので、ユイははじめ人影を女性かと思った。体つきもほっそりして見える。しかし、ずいぶん腕力があるようだから、もしかすると男性かもしれないと思い直した。ここは外なのだから、ネク族の常識は通用しないのだ。
「あっ」
 アイが再び声をあげた。人影がふいに屋根から両手を離したのだ。こんどこそ石畳に叩きつけられる―――
 しかし、人影はこんども落下を免れた。最上階にぽっかりあいている窓の縁をはっしと掴み、腕一本でぶらさがると、重さを感じさせない動きでひょいと体を持ちあげ、そのまま鐘楼の中に入りこんだ。
 双子は顔を見合わせる。
「ねぇ、いまの、なんだと思う?」
妖精シーのまやかし……じゃないと思う」
「ユイはそういうの敏感だものね。ということは、ふつうに、人間?」
「ふつうかどうかはわからないけど……」
「そうだね、とりあえず行ってみようよ」
「えっ」
 姉は目を輝かせたが、妹は怯んだ。姿はそっくりでも、性格は正反対の双子だ。
 それでもユイは、アイにぐいと手を引っぱられると、逆らうことなく走りだした。
 入口の戸板の鍵は壊れたままだったので、鐘楼に入りこむのは簡単だった。アイははじめ螺旋階段を駆けのぼろうとしたが、ふと気づいて、足音をたてないようにのぼりはじめた。ユイもアイに倣う。そうやってそろりそろりと進んでいくと、やがて頭上からだれかの声が聞こえてきた。若い男性のものだろう、覇気があって明るい印象の声だ。ところどころ聞きとりづらかったが、息を詰めて近づくうちに、声は明瞭になってきた。
「…………にゆが…………て……にはきだされ……たぶん……のぱたーん……。ひきよせ……たんだ。……あたりに、なにかあるんだろう。というわけで、なっど、おれはしばらく――― っと、ひとだ」そのさきは急に声が小さくなって、すぐになにも聞こえなくなった。
 双子はいったん足を止めて顔を見合わせ、それから再びそろそろとのぼりはじめた。最上階への出口はもうそこに見えている。
 双子がそろって階段穴から顔を出したとき、声の主とおぼしき人物は、窓から身を乗りだしていた。右手を宙へさしのべている。その手から小さなチョウが一匹、ひらりと飛びたった。
 夜目にもはっきりチョウと見てとれたのは、それが虹色の光を放っていたからだ。ふしぎな輝きを帯びたチョウは、虹色の軌跡を描きながら、窓の外の高みへと消えた。
 顔をあげてチョウを見送っていた人物が、おもむろに身体ごと振り向いた。
 床から顔を覗かせて呆然としていた双子と視線が合う。彼に驚いた様子はなかった。
「やあ、いい夜だね、妖精シーみたいなお嬢さんたち」
 はっと我に返り、こっそり見ていたことを怒られると思って身をすくめた双子は、やさしげなテノールに拍子抜けした。次いで、その容姿に目を奪われた。
 アイが手燭を掲げるまでもなく、相手の足元に置かれたカンテラの光で、顔の造作は見てとれた。ネク族はある理由から美男美女が多いので、顔の美醜に関してなら双子の目は肥えている。そんな双子でも思わず陶然とするほど、端麗な顔立ちの男だった。小さく浮かべた笑みは優美で、華がある。目の色はよく見えないが、こちらを見つめ返すやわらかな瞳の光が、なんとも魅力的だ。
 立ち姿もほどよくすらりとして高い。年のころは二十歳ほどだろうか。ついこのあいだまで少年だった、というような若々しさが全身から立ちのぼっている。ただ、口元を飾る微笑には妙に老成した雰囲気があるから、本当はもうすこし年上なのかもしれない。
「君たちは双子? あんまりそっくりで驚いたよ。妖精シーに化かされてるのかと思った」
 石の窓枠に浅く腰かけ、青年が人懐こく笑う。
 それはこっちの台詞だ、とユイは内心思った。
「本当に妖精シーかもしれないわよ」
 アイは臆せず応じて、階段をのぼりきる。ユイもつづいた。
 見習い詩人としてあちこちの都市になんども出入りしているアイは、人見知りをしない。口もよくまわり、子供らしからぬ物言いをして、大人を小気味よくへこませることもある。めったに野営地から出ないユイは、一族以外の人間としゃべるのが怖かったので、謎めいた青年の相手は姉に任せることにした。
「こんな真夜中にこんな場所へ、妖精シーのお嬢さんたちは、踊りにでも来たのかい?」
「私たちは母さんを捜しに来たのよ」
「お母様がここに?」
 青年はふしぎそうにあたりを見まわした。
 鐘楼の中は狭い。中央のやや高い位置に提げられた鐘と、床の隅にぽっかりあいた階段穴と、東西に向かって大きくひらかれたふたつの窓があるだけの、がらんどうの空間だ。人影と呼べるものは、三人のほかに見当たらない。
 要領を得ない顔の青年に、アイは彼が腰かけている窓を指さしてみせた。正確には、その外を。
「星よ、星」
「星?」
「流れ星。長い尾の星といえば、恋しい人の星に決まってるじゃない。今日は特別な流星群の夜なのよ」
「ああ、なるほど……」
 青年はやっと納得した様子でうなずいた。
「お兄さんこそ、真夜中にどうしてこんなところにいるの? そもそも何者?」
「お兄さんは通りすがりの一般的な旅人です」
「一般的な旅人はこんなところにのぼらないわよ。不審者の間違いじゃなくて?」
「不審……」
「あの光はなあに? どうして空から出てきたの? あんなふしぎなことができるの、魔物か魔女だけでしょう? お兄さんから魔力は感じないけど、本当は魔女? 魔物? それとも、妖精シー? さっきのチョウはなあに? あのチョウと話してたの?」
 がっくり肩を落としている青年へ、追い打ちをかけるようにアイは質問攻めにした。
「見えたのか」
 額に手を当て、青年が小さく息をついた。ためらうような間のあとに答える。
「あれは、移動の……魔術だよ」
「魔術? じゃあ、お兄さんはやっぱりお姉さんで、もしかして魔女―――
「やっぱりってなんだ。お兄さんは身も心も顔も、れっきとした男性です。……そう、魔女に頼んで送ってもらったんだよ、魔術でね」
「送ってもらった? そんなこともできるのね」
「……そうさ。とても長い距離で、歩くことはできなかったからね」
「それって、まさか海の向こうから来たってわけじゃないわよね」
 海の向こうにもここと同じような大陸があるらしい、という話を、双子はときどき耳にしていた。獣のような毛むくじゃらの人間がいる、とか、竜のような鱗を持った人間がいる、とか、そんな噂がまことしやかに囁かれている。ふしぎな光と一緒に空へ飛びだしてくる男がいてもおかしくない。ただ、闇に浮かんだ彼の肌は光を放つかのように白く、金色の髪も華やかで、そうした特徴は“海の向こうの奇妙な人間”よりも“山の向こうのふつうの人間”にそっくりだ。
「帝国訛りがぜんぜんない気がするけど……やっぱり、帝国の人?」
「…………そうだよ」
「すごい! 私、帝国の人と真正面でお話するの、初めて。ねぇ、その灯り、ちょっと見せてもらってもいい? カンテラっていうんでしょ? この透明な筒は、もしかして、ガラス?」
「そうだよ。そうか、このへんではガラスは珍しいのか……」
 なにやら気まずそうにつぶやく青年の足元にしゃがみこんで、アイとユイはじっくりとカンテラを眺めまわした。星の光芒を象った青銅製の覆いの下に、光を通す透明な円柱がくっついている。円柱の中では、油を使った炎が揺れていて、独特の匂いを発している。
「だって、帝国の商人が持ってるのしか見たことないんだもの。どうやってこんな水みたいな曲がる板ができるんだろう? 持ちあげてみていい? ……水晶よりもかるいわ。これも帝国の魔術なの? ガラスって魔術でできるの?」
 アイの質問に、青年がこらえきれないというように噴きだした。アイが眦をつりあげる。
「いま、田舎者って思ったでしょ!」
「ごめん、ごめん。ただ、夢があっていいなあと――― 待って、そんなに怒らないでくれよ」
 アイの拳を慌てて受け止めた青年は、お詫びにと、ガラスの作りかたについて簡単に説明してくれた。ガラスの原料は魔術ではなく、石英や石灰などのいろいろな砂だ。それらを高温で溶かして生成するので、多くの燃料が必要になる。木のすくないカーシュ地方では、燃料を確保するのが難しい。ガラスの素になる砂も、カーシュ地方より帝国のほうが圧倒的に産出量が多い、などなど。
――― たとえば、帝国の南には広大な石英の砂漠がある。砂がぜんぶ白く輝いていて、見渡す限り真っ白なんだ。とてもまぶしくて、気をつけてないと目を傷めてしまうぐらいだよ。雨期になるとあちこちに大きな沼ができるんだけど、これがまたエメラルドのように深みがある美しい緑色で―――
 双子が見たこともない世界のことを、青年は淀みなく語る。双子は感嘆の溜息をついた。
「すごいわ、お兄さん、物知りなのね」
 青年は照れくさそうに頭をかいた。
「まあ、あちこちまわってるからね」
 たしかに、彼は旅慣れたような格好をしている。飾り気のない半袖のシャツに薄手のやわらかなズボンを合わせた姿は、夏の旅人らしく、こざっぱりとした出で立ちだ。長い足に履いている革のブーツも、長期の旅にうってつけの丈夫そうな型だ。それもだいぶ履き古されている。その足元に丸めて置かれた白い布は、毛布を兼ねた外套だろう。
 壁ぎわへ無造作に放られている革袋が、彼の旅荷のようだ。身軽さを好む性分なのか、持ち物はとてもすくなく見える。そういえば腰に帯剣用の革ベルトを巻いているくせに、短剣のひとつもぶらさげていない。
 彼が旅人らしくない点を挙げるとすればただひとつ、無防備なところだろう。カーシュ地方に野盗はすくないが、まったくいないというわけではない。丸腰で旅をするなど、よほど自分の強運に自信があるか、なにも考えていない大馬鹿者かのどちらかだ。彼も実際は、革袋の中になにか武器を隠しているのかもしれない。
「だけど、今夜の流星群のことはまったく知らなかったな。お嬢さんたちはよく知ってたね」
「知り合いに、空を読める人がいるのよ」
 アイは得意げに小さな胸を反らした。ネク族には、天の運行を読むことに長けた女性がいる。五日さきの天気はもとより、いつ流星群があるか、いつ太陽が喰われるか、といったことをすべて占いで知っているのだ。
「今年は絶好の条件だよ」占術師は双子にそう言った。「いつもより特別に多く流れて、月がふたつとも出てこないんだからね!」
 彼女の予言を聞いてから、双子はずっとこの新月の夜を心待ちにしていた。そして、どうせならできるだけ高い場所で母に会いたい、ということになり、今宵リト市の鐘楼へ忍びこむことになったのだ。
 そして双子はようやく思い出した。謎の青年との会話にすっかり夢中になっていたが、ここに来たのは、母の星を探すためなのだ。
「たいへん、母さんを見失っちゃう」
 アイはユイの手を引っぱって石の窓枠にとりついた。ちゃっかり青年の真横に並ぶ。
 見あげた東の空は、滴り落ちんばかりの星々で埋めつくされている。白く輝くというセキエイの砂を、闇色の布にたっぷり乗せてさっとひと撫でしたら、こんなふうにまばゆく散らばるのではないかと、ユイは想像してみた。実際、星の集まりには、だれかがいたずらに撫でつけたかのようなむらがある。たとえば、北東の地平から天頂へ向け、駆けのぼるような光の帯が見える。星女神のかいな、あるいは光の街道などと呼ばれている、星が密集した帯だ。
 月はふたつとも新月で、空は星々の天下だ。片田舎の小さな街は闇の底ですっかり寝静まり、親子の再会をじゃまするような無粋な光は見当たらない。それでも、星がもっとよく見えるようにと、アイが手燭の火を吹き消した。
「俺のカンテラも消そうか?」
「ううん。お兄さんの顔が見えなくなったら、もったいないもの」
「え、顔?」
 青年に持ちあげられたカンテラの炎が、ぐらりと揺れる。
「ふふ。ところで、まだぜんぶの質問に答えてもらってないわ。さっきのきれいなチョウはなあに? もしかして、妖精シー?」
 すこし離れた場所にカンテラを置きに行った青年が、苦笑混じりに頭を振った。
「お嬢さんは手厳しいね。俺は尋問を受ける犯罪者になった気分だよ」
「だって、犯罪者でしょう? 勝手にここに忍びこんでるじゃない」
「それに関しちゃ、お嬢さんたちも同罪じゃないか」
「そういえばそうね」
 アイは悪びれずに明るい笑い声をたてた。
「あのチョウは、えーと、妖精シーの一種、だよ。……たぶんね」
 戻ってきて窓枠に腰かけた青年は、だいぶ歯切れが悪かった。彼自身、よくわかってないのかもしれない。たしかに妖精の一種だろう、と、〈妖精術〉をかじっているユイは心の中でうなずいた。妖精がまじないを使ったような微量な魔力を、チョウから感じたのだ。それに、妖精は美しいものが好きだから、眉目秀麗な彼のまわりに集ってもおかしくない。妖精が多く集えば、それだけふしぎなことも起こりやすい。
 もっとも、妖精が人の目に映ることはめったにない。彼らが進んで姿をあらわそうとしない限りは見えないし、魔力がすくないから長く人の目に映っていることもできない。ただ、勘のいい者なら、夜の闇、昼の光のそこかしこに、彼らの小さな気配を感じることができるだろう。
 ユイの師匠は、「妖精シーどもは薄皮一枚隔てた向こうの世界にいるのさ。あっちからはこっちがまる見えだけど、こっちからあっちを見るのは難しいんだよ」と言っていた。まるで別世界に属した生き物のようだが、カーシュ地方の人々にとっては、妖精はいたずらで気のいい隣人だ。人を惑わしたりからかったりすることもある一方、気まぐれに仕事を手伝ってくれたり、ときには家に居着いて幸福を呼び寄せてくれる。だから、カーシュ地方の人たちは親しみをこめて彼らを「隣人シー」と呼ぶ。
「あっ、見て!」
 だしぬけにアイが歓声をあげた。その指は空の一点を指している。
「あーでも惜しい、一瞬だったわ。ユイ、見えた?」
「ううん。なかなか会えないね、母さん」
「大丈夫、きっとすぐ会えるさ」
 アイに向かって発したユイの言葉を拾い、気安く請け負ったのは青年だった。思いがけない応答にどぎまぎしたユイは、思わず姉の陰に顔を隠してしまった。
「私たちね、母さんのことぜんぜん覚えてないの」
 アイは妹をかばうように青年に話しかけた。
「私たちを産んでしばらくしてから、この季節に星になったそうよ。だから、会えるのはこの流星群の時期だけなの。それに、今夜はちょっと特別なのよ。マイアさん以外には内緒で、こっそり出てきちゃった。それはもう、大冒険だったんだから」
「そうか。君たちはずいぶん勇気があるんだね」
 すっかりアイの話し相手になっている青年は、ユイに避けられたことなど気にもとめていないようだ。
「だけど、お母さんに会えたらすぐに帰ったほうがいいよ。こんな夜中に、かわいいお嬢さんたちが得体の知れない男と一緒だなんて、お母さんが心配してしまうよ。お父さんだっていまごろ―――
「つまり、お兄さんは危ない人なのね?」
 真顔のご高説を遮ってアイがからかうように尋ねると、青年はうろたえた。
「え? そりゃ、まあ、自分で安全と言うのも信用がないし―――
「そうね。こんな真っ暗な夜にかわいい女の子がふらふら出歩いて危ない人に出くわすのと、不審なお兄さんの横でじっと朝を待つのと、どっちが危険か、考えこんでしまうわね。……あっ、また流れた!」
「わかった、わかったよ。小さな淑女に敬意を表して、今夜のお嬢さんたちの安全はお兄さんが保証するから、ふらふらするのはよしなさい」
「話の早い人で嬉しいわ。……すごい、さっきからいくつも流れてる」
「まったく、見かけ以上に頭のまわるお嬢さんだ」
「お兄さんこそ、見かけによらず人を見る目が正しいのね」
 アイがにっこり笑いかけると、青年は苦笑でそれを受け止めた。
 双子に警戒心がないわけではないが、物腰やわらかで博識なこの青年が、危険なことをしでかす人物とは、アイにもユイにも思えなかった。それに、彼は無防備すぎる。窓枠に浅く腰かけながら上体をひねって星を見ているいまも、双子がちょっとつつくだけで窓の下へ真っ逆さまに落ちてしまいそうだ。
「ところで、お兄さんの名前はなんて言うの? 私たちは、ヨル」
「俺はハヤだよ。君は、ヨルさん? 変わった名前だね。お嬢さんの一族じゃ、特別な意味を持っていたりするの?」
 双子がリト市民ではないということを、彼はすでに知っているようだった。
 「一族の言葉っていうか……私たちの言葉って、このあたりの言葉とそんなに違わないのよ。子供の名前はみんな、イワとかウミとかカゼとかそんなもんよ。私たちは夜に産まれたから、ヨル。本当の名前をもらうのは、大人になってからよ」
「なるほど、おもしろい決まりだね。向こうのお嬢さんは? もしかして、君もヨルさん?」
「はい、私も、ヨルです」
 笑顔を向けられたことにとまどいながらも、ユイはうなずいた。「ユイ」は“妹”という意味の呼びかけだ。姉が自分をそう呼ぶので、彼女の中ではすっかり「ユイ」という響きが名前のようになっていた。ユイが姉を呼ぶときの「アイ」も、本当は“姉”という意味の呼びかけだ。
「双子で名前を共有するのか」
「そう、双子は区別されないのよ。二人で一人として扱われるから」
「ってことは、ヨルさーん、って呼んだら、二人とも振り向くのかい?」
「もちろんよ」
「そりゃ、ますます見分けがつかないじゃないか」
「それなら、とっておきの見分けかた、教えてあげる。かしましいほうが姉、おとなしいほうが妹よ」
 そう注釈したのは、もちろんかしましいほうのヨル、、、、、、、、、、だ。
「なるほど、わかりやすい」
 ハヤはおもしろそうに相槌を打った。
「それにね、私の特技は歌やおしゃべりだけど、妹はとっても手先が器用なの。料理だってなんでもできるし、いま私たちが着てる服も―――
 アイはその場でくるりとまわってみせた。膝丈の白いワンピースの裾が、羽のように広がる。肩の上で切りそろえた樺色の髪がやわらかく舞い、笑顔の輪郭を可憐に縁取る。頭の上で結んだ白いリボンは、小動物の耳のように愛らしく揺れた。
「これ、ぜんぶユイが縫ってくれたのよ。私たちの二枚とも。すごいでしょう?」
「へえ! 縫うって……この刺繍も、ぜんぶ? このこまかいツタの模様を?」
 カンテラを持たなくても、ハヤの目にはワンピースの胸元や裾を彩る刺繍がはっきりと見えているらしい。
「そうよ。私、縫い物はぜんぜんダメ。指も一緒に縫っちゃうし、それに、じっとしてられないもの。だから、代わりにユイが縫ってくれるの。族長様に交渉して布や糸を手に入れるのは私の役目。私たち、うまくできてるのよ。ちゃんと、片方ができないことはもう片方ができるようになってるんだから」
 いったん言葉を切ったアイは、ユイを引き寄せて親愛の仕草でぎゅっと抱き締めた。そのままの笑顔で、楽しそうにハヤを見あげる。
「すごいでしょ、双子って」
「うん、すごい。とっても羨ましいよ」
(あれ?)
 ユイは目を瞬かせてハヤを見つめ直した。まぶしそうに細められたハヤの目に、苦いものがよぎったのは気のせいだろうか。だがその意味を追うまもなく、ハヤは顔をひねって外に向けてしまった。
 つられて双子も窓の外を見た。またもやふしぎな旅人との会話にすっかり夢中になって、本来の目的を忘れていた。
 その瞬間は、双子の視線を待っていたかのように訪れた。
 大きな白い光がひとつ、北東の空から放たれた。
 すべるように双子の視界を横切り、長く長く尾を引いて、南東の果てへと消えていく。
「母さんだわ!」
 双子は手をとり合って歓声をあげた。そして、示し合わせていたとおりに声をそろえて、母の星に願った。
「これからも、二人一緒にいられますように!」

NEXT →


↑ 誤字脱字報告大歓迎!

inserted by FC2 system