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双子の夜と魔女の生贄

序章 リト市

「いい日ですね、旅のかた。どちらまで行かれるんです?」
 市門をくぐり出た旅装の人物に、商人の一団が親しげに声をかけた。
 日乾しレンガの市壁に寄りかかり、夏の陽射しに目を細めながら、三人組の商人たちは人待ち顔でリト市の東門を見張っていたのだ。
「いい旅日和ですね。俺はサルトワ市までです」
 歩みを止めた旅人が顔を向けると、商人たちは一様に目をまるくした。行きさきが珍しく一致していたから、というだけではない。頭まですっぽり覆った日除けの外套から、真珠のように真っ白な肌が覗いていたからだ。目深に被った頭巾からわずかにこぼれて見える髪も、このあたりでは珍しい金色だ。
(男には違いないようだが……ずいぶんとおきれいな顔だぜ)
 そんな驚きをすばやく押し隠し、日に焼けた肌の商人たちは、黒髪をまとめたターバンを愛想よく揺らした。
「おお、なんという奇遇」「私らと同じ場所に行かれるとは」「しかし、そんなお若い身でご旅行を? かなり遠くからいらしたようですが」
「古い友人に会いに行くんです。皆さんは塩の買いつけですか? あそこの塩は有名ですよね」
 市壁の外に広がる赤茶色の大地へ顔を向けながら、旅の青年も気さくに話題を振る。
「おお、異国のかたもご存知とは」「嬉しいですねぇ」「そうですとも、サルトワ塩は極上ですとも!」
 三人の商人たちはおおげさな身振りで近づきながら、それとなく青年を囲む。
「北はカカヤから南はネローシュまで、極上の塩をお届けするのが、私ら商人の役目ってもんです」
「お勤めご苦労様です」
「それに、ここの織りレースはあちらじゃ大人気でしてね」「塩とレースで、ちょうどいい商いになりますよ」「おっと旦那、ご友人へのお土産に、手巾などはお持ちですかな?」「よければ私どものほうでご用意しますよ」「どれも選りすぐりの逸品ばかり!」
 いそいそと背中の包みを広げてから、中年の商人たちは過ちに気づいた。
(しまった、つい、いつもの癖が!)(引かれてしまったか?)(せっかくの獲物が逃げてしまう……!)
 しかし、彼らがうっかり見せた商魂に気づかなかったのか、
「お土産なら大丈夫ですよ。ご心配ありがとうございます」
 青年が返した笑顔は、厭味のない爽やかなものだった。
(こいつは天然ボケのお人好しだな)
 面食らいつつも、三人組はすぐ気をとりなおした。相手の頭のゆるさに成功を確信したのだ。引きつづき人の好い笑みを張りつけながら、青年をさそう。
「どうでしょう、あなたがよろしければ、私らと一緒に行きませんか」
「サルトワ市まで?」
「ええ、ちょっとばかし長い道のりですからね」「旅は道連れと言いますでしょう、人数が多いほうが、私らも心強いですから」「ご存知ですか? このへんは野獣も多いんですよ。まとまって歩くほうが安全です」
「なるほど、いい考えですね」と、考えた素振りもなく青年はすぐ首を縦に振った。「ここでお会いしたのもなにかの縁でしょう。俺からもぜひお願いします」
「そうと決まりゃ、さっそくご案内しますよ」
 商人たちはいよいよ笑みを深くした。
「ここからちょいと脇に行ったとこの川辺に、私らの隊がおりましてね」「一緒に合流しましょう」「なに、すぐ近くです」
「はい。しばらくご厄介になります」
 旅人もまた口元の笑みを深くした。そして素直な様子でうなずくと、商人たちに従って歩きだした。

◆ ◆ ◆

 市門の上で置物のようにとまっていたコンドルが飛びたった。乾いた風が彼を高みへと押しあげる。土埃を被った石壁も、平地に張りついた石造りの街も、うねりながらつづくワタ畑の緑も、たちまち彼の眼に小さくなる。
 悠然と天を滑翔しながら、コンドルは乾いた大地を俯瞰する。人間たちが汗水垂らして開墾した畑の緑色より、ひび割れた赤茶色のほうがはるかに多い地だ。お世辞にも、生き物たちにとって豊かとは言えない。
 それでも、コンドルはこの地を気に入っている。なにしろ見晴らしがいい。ここカーシュ地方の地理なら、彼はすみずみまで知りつくしているほどだ。彼の頼もしい翼なら、南の端から北の端まで飛ぶのに十日もかからない。人間の足では百日以上かかるだろう。
 南と東には雪を戴いた峻嶺が脈々とそびえて大地を区切り、北と西には藍色の海原が茫洋と広がってホーテンス大陸を絶っている。この閉鎖的な地形が幸いし、カーシュ地方は未だ帝国の侵攻を受けていない。なだらかに起伏を繰り返す帯状の大地には、小規模な都市や集落が点在し、どこの国にも屈さぬ自由な政を謳歌している。
 コンドルは舞うように身をひるがえし、市壁に沿って歩く商人たちを先まわりした。彼らが目指すさきには、リト川がある。はるか上流で山脈の雪解け水をかき集め、リト市民とワタ畑を潤している恵みの川だ。
 その北の川縁に、花を散らしたような色とりどりの天幕群が広がっている。野営しているのは五十人ほどの人間たちだ。リト川の岸辺に九張の天幕を立て、かれこれ五十日ほど滞在している。毎日リト市内に出入りしては、商いや芸をして暮らしている。
 コンドルはすでに知っていた。一見、大規模な商団に見える彼らが、じつは独自の文化を持つ小規模な一族だということを。カーシュ地方のどこにもその一族を指して呼ぶ言葉は存在しないが、一族は自分たちのことを〈魔女の子ら〉あるいは〈ネクタルの一族〉と呼んでいる。
 そして、コンドルの主はこれを略して〈ネク族〉と呼んでいる。
 野営地の上空で、コンドルは円を描くように舞った。商人に挟まれて歩く旅人を視野の片隅に収めながら、さらに〈ネク族〉に関する知識を反芻する。
 彼らが都市に出入りしながら蓄えるのは、交易品や旅の食糧だけではない。
 この日のように、人間を拐かすことがある。
 それも、できるだけ若くて頑強そうな男を狙う。多いときで三、四人攫う。そうして捕まえた男たちから一人ずつ選び、〈クグラ〉にする。
 〈クグラ〉はネク族独特の言葉で、意味は“外から得た生贄”といったところだろう。ネク族は、ある魔女を信仰している。不幸な生贄クグラたちは、彼女の加護を得るために捧げられるのだ。コンドルはまだその魔女の名を知らないが、実在の魔女ということはたしかだ。
 屍肉を常食とするコンドルからすれば、生けるもの、それも同種である人間をわざわざ殺して自分たちでは食べもしないネク族の風儀は、奇異なものに思える。壁の中で安穏と暮らす人間たちにとっても、街から人を攫っては殺すようなネク族の行いは、おぞましいものに感じられるはずだ。自領の平和をおびやかす集団を、カーシュ地方の施政者たちが放っておくはずがない。それでもネク族は、これまでひとつの咎めも受けることなく、なにくわぬ顔でカーシュ地方を渡り歩いている。
 なぜそのようなことが可能なのか。
 雲ひとつない空にゆったりと円を描きながら、コンドルは思考を巡らせる。
 もしかするとどこかで魔女の助けが働き、彼らの存在を人の意識にのぼらせないようにしているのかもしれない。だが、多くはネク族自身の慎重な性格に因るのだろう。
 ネク族は必ず、一目でそれとわかるような旅人を狙う。それも、出立のときを見はからって拐かす。旅人が街からいなくなっても訝しむ者はいない。旅人とはいずれ次の場所へと旅立っていくものだ。ただ、その旅路が呪われているか否かの違いである。
 そして今日もまた、一人の若者が死に向かう旅路へといざなわれたのだ。
 商人に連れられてネク族の野営地に足を踏みいれた旅人が、待ちかまえていた男たちにとり囲まれたのが見えた。
 コンドルは翼を大きくひるがえした。東の山脈から吹きつける気流に乗って、高く高く舞いあがる。この日の出来事を主に告げるため、一心に北を目指した。

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